半坪ビオトープの日記

トレド大聖堂

f:id:hantubojinusi:20181229092222j:plain

                 トレド駅

アトーチャ駅からトレド駅まで、予約した高速列車だと約半時間で着く。マドリード周辺の冬は晴天が多く、かなり乾燥しているそうだが、トレドに着くと朝靄が発生していて駅周辺は霞んでいた。駅舎は1919年に改装されているが、陶器タイルのモザイクや格子窓などイスラム建築の影響を受けたネオムデハル様式の装飾が美しく、スペインの美しい駅舎ベスト10に重要文化財に指定されている。

エル・グレコが愛した古都、トレドは1561年に首都がマドリードに移るまで、政治・経済の重要な拠点として繁栄し、「16世紀で歩みを止めた町」といわれる。560年に西ゴート王国の首都となったトレドは、711年から約400年にわたってイスラム教徒の支配下におかれた。1085年のアルフォンソ6世の再征服後も、1492年にカトリック両王によって追放されるまで、この地の経済を握っていたユダヤ人とともに多くのイスラム教徒が居残ったという。そのためキリスト、ユダヤイスラムの3つの文化なくしてこの町は語れないとされる。

f:id:hantubojinusi:20181229093736j:plain

             アルカンタラ橋 西塔

トレド駅から西に向かい、南に分かれる道を下っていくと、タホ川に架かるアルカンタラ橋に着く。川向うの旧市街の丘の上にそびえ立つのがアルカサルであるが、まだ朝靄にかすんでよく見えない。アルカンタラ橋は、北進するイスラム教徒との戦いにおいて、破壊・修復を繰り返したため、様々な建築様式が入り混じっている。スペイン継承戦争1701-14)により即位したフェリペ5世が1721年に再建したバロック凱旋門の上部にはカスティーリャ=レオンの紋章とブルボン王朝の紋章フルール・ド・リスが浮き彫りされている。アルカンタラ橋を渡った先に建つこの大きな西塔は、カトリック両王アラゴン王フェルドナンド2世・カスティーリャ女王イサベル1世)により増築されたものである。左上と右下にはカスティーリャ=レオンの紋章、右上と左下にはアラゴンシチリアの紋章が確認できる。西塔の先には馬蹄型の門がある。さらにその先には急な階段が続くので、左に折れて車道を上っていく。

f:id:hantubojinusi:20181229094501j:plain

               サンタクルス美術館

旧市街に入ると右手にサンタクルス美術館が現れる。16世紀にトレドの大司教だった枢機卿メンドーサの遺志を受け継ぎ、イサベル1世の命により1614年に建てられた、病人や孤児のための慈善施設だったが、現在は美術館となり考古学博物館も併設されている。

f:id:hantubojinusi:20181229094632j:plain                ソコドベール広場

ドン・キホーテの作家セルバンテス銅像が迎える門をくぐると、観光バスも集まるだだっ広いソコドベール広場に出る。旧市街地観光の出発点である。

f:id:hantubojinusi:20181229095141j:plain                  アルカサル

ソコドベール広場から左に進むと大きなアルカサルが建っている。元は3世紀にローマ帝国の宮殿があった場所に、11世紀にイスラムの支配からトレドを奪還したアルフォンソ6世が要塞を築いたのが始まりで、1316世紀にかけて大幅に改築された。現在の建物は皇帝カルロス5世が王宮として改築させたものが原型とされ、現在は軍事博物館となっている。

f:id:hantubojinusi:20181229101055j:plain                 サントトメ教会

アルカサルから細い路地をくねくねと辿って、カテドラルの脇を通り抜け、サントトメ教会に行く。12世紀にアルフォンソ6世が建立した教会で、荒廃していた教会をオルガス伯爵が私財を投じ14世紀に再建された。その時に建築された教会のシンボル「モサラベの塔」は、現在トレドに残る最も素晴らしいムデハル様式といわれている。教会内部のエル・グレコの傑作『オルガス伯爵の埋葬(1588)』が有名。画面下部に聖アウグスティヌスと聖ステファネスが伯爵の遺骸を埋葬している場面、上部には雲上のキリストと聖母マリアに伯爵の魂が天使により捧げられている場面が描かれている。残念ながら撮影禁止であった。

f:id:hantubojinusi:20181229103242j:plain                 トレド大聖堂

世界遺産の街トレドの中心に、スペインカトリックの総本山、トレド大聖堂=カテドラルが建っている。フェルナンド3世の命によって1226年に建設が始められ、1493年に完成したスペイン・ゴシック様式の大聖堂で、バチカンサン・ピエトロ大聖堂、イギリスのセントポール大聖堂、スペインのセビリア大聖堂に次ぐ大きさを誇る。正面ファサードには繊細な彫刻が施された「地獄の扉」「免罪の扉」「裁きの扉」の3つの扉がついている。ファサードの左側にはフランボワイヤン・ゴシック様式の鐘楼が立ち、右側にはゴシック・ルネサンス様式のドーム型の塔が立っている。

f:id:hantubojinusi:20181229103256j:plain

ファサード上部の彫刻は「最後の晩餐」がモチーフとなっている。本堂内の宝物室には金銀宝石で細工された高さ3mの聖体顕示台が置かれ、聖具室にはエル・グレコの『聖衣剥奪』、ゴヤの『キリストの逮捕』、カラヴァッジョの『洗礼者ヨハネ』、ラファエロティツィアーノ、ヴァン・ダイクの作品などがたくさん展示されているが、残念ながら撮影禁止であった。