半坪ビオトープの日記

ナスル宮殿、カルロス5世宮殿

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カルロス5世宮殿

アルカサル手前のアルヒベ広場は、テンディージャの伯爵によって貯水槽の上に作られた。その広場から茂み越しに、ほぼ正方形のカルロス5世宮殿の西側面が見える。カトリック両王の孫であるカルロス5世が、1526年の新婚旅行でアルハンブラ宮殿に宿泊した際、王とその家族のために建設を決めた宮殿である。

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ナスル宮殿

カルロス5世宮殿の手前を北に向って城壁まで行き右手を眺めると、アルハンブラ宮殿の心臓部、ナスル宮殿が眺められる。グラナダ王国が建国されたのは1238年。相前後してイスラム教徒の本拠地だったコルドバとセビリヤが陥落し、レコンキスタが完了しつつあるという、風雲急を告げる時代のことだった。ナスル朝初代王ムハンマド1世(在位123273年)は、脆弱な国家の基盤を整えるため、仇敵カスティーリャ王国に服属して外交を安定させ、商工業の発展に力を注いだ。賢明な政治によって経済が潤うと、王はアルハンブラ城内に王宮を築城した。それがアルハンブラ宮殿である。初代王の没後も建設が進められ、7代王ムハンマド5世(在位133354年)の世になってようやく完成した。この時代、アルハンブラ城内にはモーロ人貴族を中心に2000人以上の人々が暮らし、モスク、住宅街が整備され、貴族の宮殿は7つを数えたという。中でもナスル宮殿は、外見は無骨ながら、一歩中に入れば幻想世界が展開する、イスラム芸術の結晶だった。

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ナスル宮殿

ナスル宮殿の中に入ると、最も古いメスアール宮があり、ファサードをくぐると中心部のコマレス宮がある。その先はライオン宮となり、諸王の間や二姉妹の間などがあるという。ここからはコマレス宮の外壁と、その奥にコマレスの塔が見える。塔の右側にはアラヤネスの中庭があり、青い池を囲んだ壁のアラベスク模様とタイルが特に美しいといわれる。予約しなかったために中に入れないのが残念である。

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ナスル宮殿

幻想世界の終焉は1492年に訪れた。もはやレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断した最後の王ボアブディル(在位148292年)は、カトリック女王イサベルに城を明け渡し、臣下とともに北アフリカに逃れた。その後18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、アルハンブラは荒れ果ててしまったが、19世紀の米国人作家ワシントン・アービングの『アルハンブラ物語』によって再び世界の注目を集めた。

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アルバイシンの丘とサクロモンテの丘

城壁の外側、谷の向こうにはアルバイシンの丘と、さらに右手の小高いサクロモンテの丘が見渡せる。

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カルロス5世宮殿

ナスル宮殿は夏の別荘であったため、生活の場としてカルロス5世宮殿の建設が命じられたが、建設は1527年に始まり、終わったのは1957年だった。資金不足や反乱のために建設が中止されたり、放置されて天井が崩れたり、困難続きで大幅に完成が遅れた。

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カルロス5世宮殿

宮殿は正方形で建物の正面は幅63m、高さは17mある。全体的に装飾が施されているのは、南側とこの西側のファサードである。

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カルロス5世宮殿

建設を任されたのは、ルネッサンス様式に魅せられた評判の良い建築家、イタリアのミケランジェロに師事したペドロ・マチューカであった。

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カルロス5世宮殿の中庭

カルロス5世宮殿の中央には、直径44mの円形の中庭があり、スペインにおけるルネッサンス様式で一番重要なものとなっている。

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カルロス5世宮殿の中庭

1階はドーリス式の石柱、2階はイオニア式の石柱と、古代ギリシア建築における建築様式が用いられている。建物の中には資料館があって、宮殿に関する多数の資料が展示されている。

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2階の円形回廊

2階の円形回廊を歩くと、ペドロ・マチューカの設計に意欲を感じるが、宮殿は資金不足でほとんど未完成に終わったとされ、カルロス5世は一度も滞在していない。屋根が付いたのも18世紀といわれ、他の洗練されたイスラム建築に比べてかなり評判が悪いそうだ。

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カルロス5世宮殿の外壁

宮殿は63m四方の敷地に建てられ、1階部分の外壁は重厚な石積み(ルスティカ仕上げ)とドーリア式付け柱、2階部分はイオニア式半柱や円形などの採光窓が設けられるなど、外観全体は重厚な雰囲気が漂う。