ワット・プラケオを囲む屋根付きの回廊には、タイの古典文学『ラーマキエン』の壁画が描かれている。ワット・プラケオに入ってすぐ右手(南)に王宮(Grand Palace)への出口がある。門の前には大きな鉄棒を構えて大きなヤック像が仁王立ちしている。寺院を守護する魔除けの役目を担っている。
ヤック像の鉄棒にも鎧にも様々な模様が散りばめられている。
祝いの幕が張られて見辛いが、王宮内に入るとすぐ目につく建物は、左の王室会館アマリン・ウィニチャイ堂である。アマリン・ウィニチャイ堂では、国王の誕生日を祝う式典など重要な儀式が行われる。その奥に連なる即位式場パイサン・タクシン堂には、タイの守護神プラ・サヤームテワーティラート像が祀られている。右のホー・プラ・タート・モンティエンの後ろには、チャクリー・マハー・プラーサート宮殿の尖塔が見える。
今度は左にパイサン・タクシン堂が見え、その右にホー・プラ・タート・モンティエンの建物が寄り添っている。
アマリン・ウィニチャイ堂に連なる建物群の右手に、王宮の中央にそびえ立つ白亜の大宮殿、チャクリー・マハー・プラーサート宮殿がある。略称チャクリー宮殿は、1876年ラーマ5世により着工され、1882年完成した。3階建てで素材に大理石を用いたビクトリア様式を採用し、重層の屋根から突き出る尖塔などはタイの伝統的スタイルが踏襲されている。ラーマ5世は153人の妻や子供のため、王宮が手狭になったのでウィマーンメーク宮殿を建設し1900年にそこへ移り住んだ。宮殿中央の玉座のある謁見の間は公式行事の場であるが、そのほか王族の納骨堂となっている。
正面入口階段の脇には、左右2頭の象の銅像により守られている。宮殿内部は非公開だが、一階の武具・鉄砲博物館のみ見学できる。
正面階段右脇には衛兵詰所があり、定時になると衛兵の交代が行われる。
チャクリー・マハー・プラーサート宮殿の右手には、ドゥシット・マハー・プラーサート宮殿が建っている。略称ドゥシット宮殿は、ラーマ1世によりこの王宮内で最初に建てられた宮殿だが、1789年に火災で焼失したため、再建されている。正十字型の寺院風本体の上に7層構造の屋根を載せている。チャクリー宮殿前からは、ドゥシット宮殿の東側面が見えている。
ドゥシット宮殿の東北にアポーン・ピモーク館が隣接している。国王専用の神輿乗り場として利用されていた。
ここがドゥシット宮殿の正面。宮殿内にはガルーダの紋章の付いた玉座があり、王の座を表す布製の9段円錐傘がかけられている。王族の遺体安置所として使われ、葬儀などの行事も行われる。
王宮の後、プラ・スメーン砦の近くを歩いていたら、道端の樹木にヤモリが張り付いていた。タイにいるヤモリでは、全身薄緑色で縞模様と赤の斑点があり大きくなる「トッケイ」が有名だが、それほど多く見かけるわけではないという。タイではどこの家にもいるという薄茶色の「ヤモリ」は、「チンチョ」と呼ばれて親しまれているが、同じものかどうかわからない。
チンチョはどちらかというと皮膚がすべすべしているが、このヤモリは背面がややゴツゴツし、日本の屋久島周辺に生息するヤクヤモリ(Gekko yakuensis)にとてもよく似ている。