半坪ビオトープの日記

国立博物館(National Museum)

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国立博物館(National Museum),

午後は国立博物館(National Museum)を見学した。開館はラーマ5世時代の1874年で、当初は王宮内にあったが、1887年に現在地に移転した。タイ最大の博物館で、先史時代からのタイ国の歴史を包括する文化遺産の数々、6世紀後半から現チャクリー王朝までの宗教美術品などが美しく展示されている。大きな本館に入ると王族ゆかりの伝統工芸品が所狭しと展示されている。これはタイの古典楽器類。華麗な装飾も施されている。

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人形劇に使われる人形

こちらは「フン・ラコーン・レック」というタイ伝統芸能の操り人形劇に使われる人形。この人形劇はユネスコ無形文化遺産に指定されている。人形一体に操り師が3人掛りで操る。今でも上演しているサコーン・ナータシン劇団はいくつもレパートリーを持っているが、やはり代表的なのは古代ヒンドゥー叙事詩ラーマーヤナ、いわゆるラーマーキエンで、現代美術館でも見たように、男性・女性・悪魔・猿の4種の人形によって演じられる。

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ベンジャロン焼きの食器

靴を脱いで2階に上がると、食器や衣服、指輪から冠に至る王の身の回り品がたくさん展示されている。17世紀前後、アユタヤ王朝時代後期に、王室専用高級伝統磁器として発展したベンジャロン焼きの食器は、現代にも続く宮廷料理にも使われているという。ベンジャロンとは、古代サンスクリット語の5を表す「ベンジャ」と、色を表す「ロン」に由来し、5色というより「多色塗り」を意味している。

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象牙製の象鞍

国王などが象に騎乗するためには、巨大な象の背に象鞍という座面を設けてその上に座る。幅広い座面の欄干や座面を支える支柱などは象牙製で、流麗繊細な彫刻が施されている。

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螺鈿細工の調度品

こちらの調度品は宴会用の品だろうか。繊細華麗な螺鈿細工が施されている。

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螺鈿細工の調度品

こちらの調度品は何を入れる箱だろうか。こちらも繊細華麗な螺鈿細工が施されている。

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象鞍と象

先ほど見た象鞍が、巨大な象の背にくくりつけられている。

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戦象を含む軍隊の行進

これは戦象を含む軍隊の行進の様子の模型である。古代世界では戦象は最強の重戦車だった。戦象が突進して歩兵部隊を蹴散らし、踏み潰し、背に乗った象兵から弓矢槍の攻撃も受けたら逃げるしかない。

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仏教遺物

現在のタイの国土には、タイ族の国が興る以前、インド文明を取り入れながら独自の文化を育んだ国々があった。六世紀後半成立とされるドヴァーラヴァティー国、シュリーヴィジャヤ国、扶南国、アンコール朝、ハリブンチャイ国など。そしてタイ族のスコタイ王朝、アユタヤ王朝、現チャクリー王朝まで続く、各地の遺跡から出土する仏像などの仏教遺物が展示されている。

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アユタヤ時代の四面仏像

14世紀半ばから400年もの長きにわたって国際交易国家として繁栄したアユタヤ王朝時代は、上座仏教を国教とする一方、インド的な儀礼や位階制度が整えられるなど集権化が進められた。これはアユタヤ時代の四面仏像のレリーフ

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仏頭

仏頭も多数展示されている。厳かではあるが、日本の仏頭とはいささか趣が違うように感じる。

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千体仏と釈迦のレリーフ

左の石板には細かい千体仏が貼り付けられている。右上には釈迦の立ち姿、右下には釈迦の涅槃の姿のレリーフが展示されている。かなり古い時代のものと思われる。

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葬儀用の巨大な山車

王家の葬儀に関する広い展示場には、金ピカに飾られた葬儀用の巨大な山車や棺が安置されている。これはラーマ1世(1782-1809在位)が造らせた、王の火葬の儀式に使われる木彫りの山車で、高さ11.2m、長さ15.3mで、約200人の兵隊が王の遺体をエメラルド宮殿からサナムルアン公園に運んだ。王の遺体を座ったままで運ぶことが代々伝わるしきたりだったが、プミポン国王の母(ソムデットヤー)の葬儀以後は、寝た状態で運ばれるようになったという。

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プミポン元国王の棺

プミポン元国王の棺も保管されている。

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葬儀用の巨大な山車

この葬儀に関する展示場は保管庫も兼ねているので、巨大な山車はいくつも並べられている。

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ブッダイサワン礼拝堂のシヒン仏

最後に、本館手前右側(北)にあるブッダイサワン礼拝堂へ。元々は1795年に副王宮専用の礼拝堂として建てられたものである。高い祭壇の上には、国の守護仏として崇拝されているシヒン仏(獅子仏、13世紀頃の青銅製)が祀られている。堂内の壁には、仏陀の生涯説話が数十枚の壁画で描かれている。その上、四方の壁一面は、千体仏だろうか、おびただしい数の仏画で埋め尽くされている。