半坪ビオトープの日記

サン・ニコラス展望台から見るアルハンブラ宮殿

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イサベル・ラ・カトリカ広場

大聖堂に入れなかったので、アルハンブラ宮殿を一望する丘、アルバイシンに行くバス乗り場に向かう。イサベル・ラ・カトリカ広場には、イサベル女王とコロンブスの像がある。コロンブスは初め、ポルトガルジョアン2世に資金援助を求めたが断られ、1486年にはスペイン(カスティーリャ)のイサベル女王に面会したが、グラナダ攻撃中の財政難で断られた。ところが1492年にグラナダが陥落した後、考え直したイサベル女王から資金援助を受けて新大陸発見に旅立つことができた。

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サン・ニコラス展望台

イサベル・ラ・カトリカ広場の直ぐ北にあるヌエバ広場から小さなアルハンブラバスに乗り、迷路のような細い石畳の道を上って行く。アルバイシン(Albaicin)の高台にある、サン・ニコラス展望台(Mirador de San Nicolas)でバスを降りる。アルハンブラ宮殿を一望する展望台はいくつもあるが、ここが最も有名で、観光客もたくさん集まっている。

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アルハンブラ宮殿

ここから眺めるアルハンブラ宮殿は、シエラ・ネバダ山脈を背景にして、古都グラナダの街を見下ろす丘の上に威風堂々と展開している。

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ナスル宮殿とカルロス5世宮殿

このアルハンブラ宮殿は、この地を支配していたイスラム教徒の栄華の象徴であり、キリスト教徒との戦いに敗れ、追放される悲劇の舞台でもあった。いくつもの王宮が複雑に増築されて巨大な宮殿を構成しているが、正面のナスル宮殿がアルハンブラ宮殿の心臓部である。右奥に見える四角い建物がカルロス5世宮殿である。

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軍事要塞アルカサバ

さらに右手には軍事要塞のアルカサバが建つ。アルハンブラで最も古く、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いたものである。キリスト教国の攻撃から都を守るため、アラブ世界の軍事技術を結集した難攻不落の要塞となった。

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ヘネラリフェ

アルハンブラ城外の左手の太陽の丘には、白い建物ヘネラリフェ(Generalife)が見える。14世紀に建設されたナスル朝の夏の別荘で、いたるところにシエラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられ、「水の宮殿」とも呼ばれる。

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グラナダの夕暮れ

このサン・ニコラス展望台は、シエラ・ネバダ山脈の麓、ベガと呼ばれる肥沃な平野に栄えたグラナダの街も一望できるが、夕暮れが迫ると太陽が赤く焼けて、アンダルシアの地平線に落ちて行く壮大な景観を楽しむこともできる。

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グラナダの夕暮れ

夕陽はどうしても逆光なので、写真に撮るのは難しいが、見ているうちに沈んで行く。

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アルバイシンの屋敷

すぐ日が暮れて行くので、アルバイシンの丘から歩いて下り始める。石畳の道の脇には美しい庭園を持つ屋敷が連なる。グラナダ陥落の際には、アベン・ウメヤに指揮されたモーロ人の抵抗の砦となり、白壁と石畳はおびただしい流血に染められたという。

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アルバイシン地区の坂道

アルバイシン地区は、敵の侵入を防ぐ城郭都市として、中世ムーア人により丘の上に造られたため、景色はいいが坂道が多い。アルハンブラ、ヘネラリフェと並んで世界遺産にも登録されている。

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サン・クリストバル教会

右手の城壁の彼方に見えるのは、1501年に建てられたサン・クリストバル教会(Iglesia de San Cristóbal)。そのすぐ右下にサン・クリストバル展望台がある。サン・ニコラス展望台同様、アルハンブラ宮殿グラナダ市街地、アルバイシンを眺める格好の展望台だが、バスが通っていないので徒歩で行くことになる。