半坪ビオトープの日記

鳴門の渦潮、屋島

うずしお汽船の高速観潮船

大塚国際美術館の裏手にある亀浦漁港から、うずしお汽船の高速観潮船が出航する。イタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡と並ぶ世界三大潮流である鳴門海峡の渦潮は、渦の大きさが大潮時には直径20m以上にもなり世界一といわれる。

鳴門海峡大鳴門橋
鳴門市と淡路島の間に位置し、日本百景にも選ばれている鳴門海峡に、1985年、大鳴門橋が開通した。橋長は1,629m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。鳴門側から橋脚付近まで延長450mの遊歩道「渦の道」を進むと、展望室のガラス床があり足元45m真下に渦潮を見ることができる。

鳴門海峡の渦潮
鳴門海峡の渦潮は潮の干満によって大きさが違って、干潮、満潮の一日に4回生じる。潮見表で確認してみると、期待度は「中」となっていた。小型高速観潮船が大鳴門橋をくぐる辺りで渦潮ができつつあるのを見ることができた。

鳴門の渦潮
大型観潮船も近づいてきて、この辺りで大きな渦ができそうだが、中々渦は完成しない。

大鳴門橋と渦潮
鳴門海峡の幅は約1.3kmと急に狭くなっていて、大鳴門橋の真下はV字型に深く落ち込み、最深部は約90mにも達する。潮流は抵抗が少ない深部では速く流れ、抵抗が多い浅瀬では緩やかに流れる。速い潮流と遅い潮流がぶつかって「渦」が発生する。潮流に沿って右側には右巻き、左側には左巻きの渦が巻く。

鳴門の渦潮
中々はっきりとした渦が見つからず、観潮船はウロウロするばかりだが、大自然の仕組みなのでどうしようもない。大潮の時に観光するチャンスがあればいいのだが。

屋島
大きな渦は見られなかったが、先を急いで本日の宿泊地である高松市に向かい、屋島に立ち寄る。屋島は硬質の溶岩に覆われた平坦面が浸食された残丘、南北に長い台地状の地形である。新生代中新世の約1500万年前から約1300万年前にかけて起こった瀬戸内火山活動の溶岩などで形成された讃岐層群からなる。基盤岩は花崗岩で、長期の浸食を受け、硬質の讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)がキャップロックとなって残った台地状地形である。屋島の名称は屋根のような形状に由来し、古来から瀬戸内海の海路の目印となっている。江戸時代までは陸から離れた島であったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田は後の時代に埋め立てられ陸続きになった。

屋島寺、東大門
633年に起こった白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。南嶺山上に唐僧・鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。真言宗御室派の寺院で、南面山、千光院と号す。律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創し、その後弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し屋島寺と称し初代住職になったという。北嶺山上に前身とされる千間堂遺跡がある。その後古代山城屋嶋城の閉鎖に伴い、南嶺の屋嶋城本部跡地に屋島寺を創設したとされる。すなわち弘仁6年(815嵯峨天皇の勅願を受けた空海は、お堂を北嶺から南嶺に移し、千手観音像を安置し本尊とした。天暦年間(947-957)明達が四天王像と、現在の本尊となる十一面千手観音坐像を安置した。四国八十八か所第八十四番札所である。駐車場からは新しく改築された東大門から入る。その先には五重塔が建っている。

鐘楼堂、本堂
境内に入ると五重塔の右手に鐘楼堂が建っている。梵鐘は貞応2年(1223)の銘があり、重要文化財に指定されている。総高102cm、口径64cm、厚さ6cm、青銅の鋳物である。鐘楼堂の向こうには宝物館があり、その右手に本堂が認められる。

千躰堂、三躰堂
鐘楼堂の手前の参道を進むと、千躰堂、三躰堂が並んでいる。右手に見える東大門に近い千躰堂の、堂内中央には千手観音、その背後に千体仏が安置されている。手前の三躰堂には、阿弥陀如来、釈迦如来、鑑真和上が祀られていて、拝顔できる。

大師堂
三躰堂の先には大師堂が建っている。弘法大師像を拝顔できる。

熊野権現
大師堂のところで参道は左折し、七福神の次に熊野権現社が建っている。熊野権現は、熊野三山に祀られる神であり、本地垂迹思想のもとで権現と呼ばれるようになった。石灯籠には葵の紋が認められる。

屋島寺、本堂
屋島寺の本堂は、入母屋造、本瓦葺。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618)に建立され、重要文化財に指定されている。本尊の木造千手観音坐像は、榧の一木造漆箔。像高94.3cm。平安時代中期、10世紀頃の作。重要文化財に指定されている。宝物館で拝観できる。

談古嶺展望台から源平の古戦場、五剣山
屋島寺から屋島ドライブウェイを下る時、談古嶺展望台がある。獅子の霊巌(屋島南嶺西端)、遊鶴亭(屋島嶺北端)と並ぶ屋島三大展望台の一つ。明治30年、村雲日栄尼が屋島登山の折、源平合戦の史跡の話を耳にして源氏の武士や平家公達たちを偲び、談古嶺と命名したという。源平の古戦場・壇ノ浦が一望でき、那須与一の扇の的、義経の弓流し、駒立岩に祈り岩、平家軍船の泊地・船隠しなど、平家物語に出てくる屋島の合戦の舞台が眼下に広がる。また対岸には五剣山(八栗山、375m)が聳えている。山中には四国八十八か所の第八十五番札所・八栗寺がある。