半坪ビオトープの日記

大塚国際美術館

ゴヤの「1808年5月3日:プリンシペ・ピオの丘での銃殺」
大塚国際美術館の所蔵作品のうち、ルネッサンスの作品だけでも約140点あり、続くバロックの作品はゴヤまで約120点ある。10点以上の作品を展示している人も5人ほどになる。こちらの作品は、スペインの画家、ゴヤ、フランシスコ・デの「180853日:プリンシペ・ピオの丘での銃殺」である。前日夜間から53日未明にかけて、マドリード市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって、400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描いた作品である。ゴヤが描いたのは、半島戦争、ナポレオン一族治下のスペインが終わった数年後の1814年で、スペイン・ブルボン朝のフェルナンド7世が国王に戻ってからだった。プラド美術館所蔵。

ゴヤの「裸のマハ」
こちらの「裸のマハ」は、ゴヤ1797年から1800年の間に描いた代表作である。西洋美術で初めて実在の女性の陰毛を描いた作品といわれ、誰の依頼によって描かれたか明らかにするために、ゴヤは何度も裁判所に呼ばれたが口を割ることはなかった。次の「着衣のマハ」とともに、首相だったマヌエル・デ・ゴドイの邸宅から見つかっているので、ゴドイの依頼といわれる。

ゴヤの「着衣のマハ」
こちらが「裸のマハ」の後に描かれたゴヤの「着衣のマハ」。ゴドイが自宅改装の際に、「裸のマハ」に関するカモフラージュであると考えられている。マハとは「小粋な女(マドリード娘)」と言う意味で人名ではない。モデルが誰か、ゴヤと関係のあったアルバ女公マリア・デル・ピラール・カィエターナという説と、ゴドイの愛人だったペピータとする二つの説がある。二作品ともプラド美術館所蔵。

ゴッホの「幻のヒマワリ」
大塚国際美術館ではゴッホから近代絵画とみなして、500点以上展示している。ゴッホの「ヒマワリ」で有名なのは、アムステルダム、ロンドン、ミュンヘンフィラデルフィア、それに東京(損保ジャパン日本興亜美術館)の5点だが、いずれもアルル時代の大型の作品である。アルル時代にはさらに2点が描かれ、そのうちの「6輪のヒマワリ」はかつて日本にあった。芦屋の実業家山本顧弥太氏が1920年に購入したものだが、1945年、終戦直前の空襲で灰燼に帰した。その「幻のヒマワリ」を写真で所蔵する武者小路実篤記念館の協力のもと原寸大で再現したのがこの作品である。

7点の「ヒマワリ」
その再現作品を含め、ここには7点の「ヒマワリ」がまとめて展示されている。

ドミニク・アングルの「泉」
こちらの女性像の作品は、フランス新古典主義の画家、ドミニク・アングルの「泉」である。1820年頃に制作が開始され1856年に完成したこの作品は、アングルが生涯をかけて追求し続けた理想の女性像で、アングルの代表的傑作とされるが、この女性は生身の女性ではなく「泉」を表す擬人像である。オルセー美術館所蔵。

アングルの「グランド・オダリスク
こちらの作品もドミニク・アングルの「グランド・オダリスク」である。題名の「オダリスク」とはトルコの後宮の女性を意味する。モナリザと並びルーブル美術館の2大美女と称され、1814年に描いた油彩画である。背中と腕がのびすぎ、お尻と太ももが太すぎるので、「椎骨が3つ多い」とか「左腕と右腕の長さが違う」などと揶揄された逸話が広く知られていたが、当時、写真技術の躍進があったので、アングルは絵画にしかできない表現を模索したといわれている。

ドラクロワの「民衆を導く自由の女神
こちらの作品もよく知られたウジェーヌ・ドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」である。シャルル10世の即位による反動的な政策に民衆が蜂起し、パリを制圧した1830七月革命に想を得た作品である。ドラクロワは蜂起には参加しなかったが、少なくとも「国家のために絵を描く」ことはすべきだと感じたという。赤・白・青のフランス国旗を持つ中央の女性は「自由」を擬人化したもので実在の人物ではないとされる。ルーブル美術館所蔵。

マネの「笛を吹く少年」
こちらの作品もよく知られたエドゥアール・マネの「笛を吹く少年」という1866年の油彩画。この少年は友人であった軍の高官が連れてきた近衛軍鼓笛隊員だが、一説によると顔の部分だけマネの息子のレオンであるといわれる。遠近感を廃した平面的な構成は浮世絵の技法を、無地の背景に大胆な人物像という手法は17世紀スペインの画家ベラスケスの手法を感じさせるという。オルセー美術館所蔵。

ミレーの「落穂拾い」
こちらの絵はジャン=フランソワ・ミレーの「落穂拾い」。1857年、ミレーが43歳の時の作品で、この頃すでに農民画家として十分な実績を上げていた。落穂拾いとは、豊かな農民が収穫を終えた後、貧農が彼らの土地でおこぼれにあずかるというものであり、背景で山のような穀物を運ぼうとしている「持てる」農民と、前景の「持たざる」貧農との階級的落差が強調されている。『旧約聖書』の「ルツ記」に基づいた作品でもある。オルセー美術館所蔵。

ルノワールの「ブージヴァルのダンス」
こちらの作品はオーギュスト・ルノワールの「ブージヴァルのダンス」。舞台はパリ郊外セーヌ河畔の行楽地ブージヴァル。モデルはルノワールの愛人兼モデルの画家シュザンヌ・ヴァラドンと友人ポール=オーギュスト・ロートである。当代一の美女といわれたシュザンヌとは14歳の時に出会い、18歳の時にこの絵のモデルを務めた。シュザンヌはユトリロの母だが、この絵のモデルを務めた翌年にユトリロを私生児として出産したことから、ルノワールが父親という疑惑もあるという。ボストン美術館所蔵。

マネの「オランピア
こちらの作品はエドゥアール・マネの「オランピア」。1865年のサロンでマネの「悪名」を決定的なものにした作品である。1863年に描かれた「草上の昼食」と共にマネの代表作とされる。「オランピア」とは当時のパリにおける娼婦の通称であり、神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なり、当時の現実の裸体の女性を主題としたことが批判された。モデルを務めたのは、「草上の昼食」などと同じく、ヴィクトリア・ムーランである。オルセー美術館所蔵。

ミレーの「オフィーリア」
こちらの作品は、ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」である。1851年から1852年にかけて制作された、英国美術品の中でも最高傑作といわれる、ミレーの代表作である。オフィーリアはシェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物で、彼女が川に溺れてしまう前、歌を口ずさんでいる姿を描いたが、戯曲では王妃ガートルードのセリフの中でのみ存在するエピソードである。ロンドンのテート・ブリテン・美術館所蔵。

グスタフ・クリムトの「接吻」
こちらの作品は、グスタフ・クリムトの「接吻」。クリムトの黄金時代といわれる1907年から1908年にかけて描かれた、ウィーン分離派アール・ヌーヴォー様式の代表的な作品で、金箔、銀、プラチナが使われている。モデルはクリムト自身と恋人エミーリエ・フレーゲとされる。抱き合う男女の頭と顔と手足だけが写実的で、他は平面的に描かれる。ウィーンのベルヴェデーレ宮殿オーストリア美術館所蔵。

ムンク「叫び」

こちらの作品は、ノルウェーの画家エドヴァルト・ムンク「叫び」1893年の油彩画と同じ題名、同じ構図のパステル、リトグラフなどの作品が合わせて5点存在する。幼少期に母親を亡くし、思春期に姉の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかったムンクは、「愛」と「死」とそれらがもたらす「不安」をテーマとして多くの作品群を生み出した。それらの中で最も有名な作品である。オスロ国立美術館所蔵。

大塚国際美術館には現代美術の作品も、ピカソモディリアーニやブラック、クレーやシャガールやミロなど百点ほどあるが、全部で1000点余りある作品にはキリがないのでここらで紹介は終了する。陶板とはいうものの精密で、素人には本物と見分けがつかない。世界中の数々の名画を一堂に鑑賞できるのはありがたいことだと思った。