半坪ビオトープの日記

原の辻遺跡=一支国王都復元公園

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原の辻遺跡見取り図
公園内には駐車場がなく、公園もかなり広いので見取り図があって助かる。手前の遺跡範囲に10数棟の復元建物が建てられている。一支国博物館への道も示されている。近くには人面石の出土地点もあるようだ。

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原の辻遺跡=原の辻一支国王都復元公園
ガイダンス斜向かいの、原の辻(はるのつじ)遺跡=原の辻一支国王都復元公園は、長崎県で2番目に広い平野である「深江田原」にある。長さ1200m、幅500mの北向きの台地とその周辺に立地する。島内各地から湧き出た水が集まり、島内最長を誇る幡鉾川に合流する場所に位置する。遺跡から海は見えないが、幡鉾川を東に約1km下ると内海湾に行き着く。公園全体が芝地のように草が刈り込まれている。

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原の辻一支国王都復元公園
原の辻遺跡からは、土器、石器、銅鏡、銅鏃、骨格器、鉄器、貨銭など中国・朝鮮との交流を裏付ける遺物が多く出土し、弥生時代を通じて壱岐最大の遺跡で、「魏志倭人伝」に書かれた一支国の拠点集落であったことが確実視されている。復元された建物は、左のような高床式の交易の倉庫や交易司の家、右手奥の物見櫓など様々な形をしている。

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原の辻一支国王都復元公園
使節団長の滞在場や使節団従者の滞在場、使節団用倉庫などとされるが、それほど細かに特定されているのか、推定で配置しているのかはわからない。

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物見櫓や番小屋
一番背の高い物見櫓の脇にも番小屋や使節団の宿舎などが建てられている。物見櫓は10
mを超える高さで、青森の三内丸山遺跡の物見櫓を彷彿とさせる。

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原の辻遺跡の番小屋の内部
物見櫓の脇の番小屋の中を覗いてみたが、かなり内部空間が広く採られていて、天井も予想より高く組み立てられていた。壁の土壁も厚く、屋根も頑丈に造られているので、台風にも耐えられると思われた。

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高床式の建物
ただし、穀倉とされているこの高床式の建物の屋根は、三分の一ほど茅が剥がれていた。

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高床式倉庫
こちらの高床式倉庫は丈夫に造られている。よく見ると壁が土壁のものと、木造のものがあり、多分、柱穴だけから復元しているので建物そのものは想像するしかないと思われる。

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一支国王都の復元場所

一支国王都の復元場所は、広大な深江田原の中央に位置する高台にあるので、周りには水田が広がっている。北に見える丘の上には先ほど訪れた一支国博物館の建物が認められる。

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王の居館
ここが一番奥の王の居館(住まい)である。門柱の先には双葉のような飾りが見える。

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王の館
王の館は住居としては一番大きいが、長老や使節団などを迎えることも想像される。

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王の館内部
王の館内部を覗いてみると、大きな甕や壺のほか、権威を象徴する鏡や剣などがある。

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ハマアザミ

こちらの色鮮やかなアザミは、ハマアザミ(Cirsium maritimum)という多年草である。茎は株から枝分かれし、葉は厚くやや肉質で強い光沢があり、羽状に深裂し、裂片には刺のある欠刻状鋸歯が多数ある。頭花は直立し、棘のある苞葉がある。花期は7〜11月。本州伊豆半島以西、四国、九州の海岸の砂地などに群生する。