志々岐神社の後、壱岐島南端にある鏡岳神社を目指して、全く人気のない道路を小一時間ほど進んだ。小さな初瀬漁港の東にある豊かな緑に覆われた小山が鏡岳。標高50mほど、316段の石段で知られる神社で一の鳥居の脇には新しい遥拝所が設けられている。
一の鳥居から苔むした石段の先に二の鳥居は見えるが、その先は鬱蒼とした森になっていて社殿は見えない。一の鳥居の扁額に彫られた「鏡岳神社」の文字がかなりデフォルメされているのが面白い。特に「社」の文字が。
明治44年の二の鳥居までで50段ほど。石段はまだ250段以上続く。
半分以上登ってようやく社殿が見えてきたが、まだ150段は残っている。この神社の森には分布北限のギョクシンカ(玉心花、Tarenna gracilipes)という主に九州南部から台湾にかけて文王するアカネ科の常緑低木や、ヒメハマナデシコという主に九州から南西諸島に分布するナデシコ属の多年草、長崎県で初めて発見されたマヤラン(Cymbidium macrorhizon)という関東から九州に分布するシュンラン属など貴重な植物がたくさんあり、森全体が県指定天然記念物になっている。
ようやく社殿まで辿り着いたが、扉が閉まっていた。
そっと中を覗いてみると、改装したての内部には、玉串三段案に御幣や、奉献酒、左脇にお祓いに使う大麻(おおぬさ)も揃っていた。その先に本殿が認められた。祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)と伊奘諾命、伊奘冉命。日本書紀によると、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命は、天照大神と素戔嗚尊とのうけい(誓約)において、素戔嗚によって天照大神の身につけた珠を物実として生み出され、天照大神の子となった五柱の男神の第一の神。鏡岳神社の案内板によると、古くは本社、中宮、北山宮からなる三者権現を成していたという。伝承として、彦兵衛という柳田の信心深い農夫が豊前国彦山(福岡県英彦山)に夫婦で参拝していたが、老齢のため参拝できなくなった。あるとき彦山権現の神が現れ、初瀬浦に鏡一面を掛けておくので、東嶽に神殿を造り毎月参拝するようにと告げられた。実際に現地に行くと鏡があったため、お告げの通りに神殿を造ったという。
本殿は屋根を支える組物がとても重厚で、肘木、木鼻、蟇股、虹梁、大瓶束などに色鮮やかな装飾を施している。懸魚も華々しく、一番上の拝懸魚(おがみげぎょ)と両脇の鰭(ひれ)、さらにその左右に鳥のような降懸魚、木鼻も鼻の長い象や龍と、稀に見る建築技術の力量に圧倒される。