半坪ビオトープの日記

壱岐イルカパーク、壱岐の土台石

f:id:hantubojinusi:20210802142858j:plain

壱岐イルカパーク
壱岐最北端の港町、勝本港は壱岐最大の漁師町である。『古事記』や『日本書紀』に記された神功皇后ゆかりの史跡や江戸時代の朝鮮通信使関連施設など、古代から近世まで日本と中国・朝鮮半島を結ぶ通行の要衝だった。それらの史跡巡りや、辰ノ島クルーズは後日の楽しみとして、まず、勝本港の北東の串山半島にある壱岐イルカパークを訪れた。

f:id:hantubojinusi:20210802141912j:plain

イルカパーク
イルカパーク&リゾートは、コバルトブルーに輝く天然の入江を整備した海浜公園。園内中央の海に続くプールにバンドウイルカが暮らしている。

f:id:hantubojinusi:20210802142941j:plain

イルカパーク
ジャンプの練習を見学できるプレイングタイムを始め、ヒレやお腹に触れられるタッチタッチドルフィンや、魚をあげられるイルカにご飯など、色々なアクティビティが充実している。

f:id:hantubojinusi:20210802143619j:plain

イルカのジャンプ
トレーナーの仕事を体験できるトレーニングツアーや、一緒に泳げるドルフィンエンカウンターなども用意されている。

f:id:hantubojinusi:20210802144015j:plain

イルカパーク
プレイングタイムは無料で見学可能。フィナーレは大ジャンプで決まり。プールの周囲にはカフェもあり、アスレチック遊具や芝生の広場も整備されている。夏には予約制でバーベキューやキャンプも可能だ。

f:id:hantubojinusi:20210802150515j:plain

串山半島の東側
イルカパークのある串山半島の東側は玄界灘に面している。左手(北)の方には、防人の跡や串山見目(みるめ)浦遺跡があり、奥のコーゴ岬にはミサキ大明神がある。

f:id:hantubojinusi:20210802150525j:plain

天ヶ原海岸
右手(東)の方には、天ヶ原海岸があり、その先には名も知れない岬があり、さらに彼方には壱岐島の北東端である赤瀬鼻がかすかに認められる。

f:id:hantubojinusi:20210802150636j:plain

壱岐の土台石
天ヶ原海岸の右手(南)の断崖絶壁は、高さが50m、長さが4〜6kmある。壱岐の土台石と呼ばれる壱岐で一番古い、日本の原型が作られた頃とされる約2,500万年前の勝本層が一番下に見られる。勝本層は砂岩と頁岩の互層で、たいへんもろく崩れやすく、落石も起こっている。その上に凝灰角礫岩と火砕流堆積物を主とする700万年前の壱岐層、さらに第四紀層の玄武岩が広く覆っている。その地層の中からは、植物や貝殻等の化石も見つかっている。崖の上部に這いつくばりながら垂れ下がっている植物が見られるが、国指定の天然記念物であるハイビャクシン(Juniperus chinensis var.procumbens)という。

f:id:hantubojinusi:20210802161400j:plain

壱岐麦焼酎「海鴉」
壱岐麦焼酎の発祥の地として広く知られている。室町時代の末期に平戸松浦藩の領地となった壱岐。肥沃な土地で米作りが盛んだったが、厳しい年貢を納めると米はほとんど残らない。農民は年貢の対象外だった麦を主食とする傍ら、麦で「どぶろく」を自家醸造してささやかな楽しみとしていた。しかし、どぶろくは日持ちが悪く作り置きができない。そこで壱岐の人々は麦を主原料に米麹を使い、中国から伝来していた蒸留技術を用いて麦焼酎を造り始めた。江戸時代には45軒の蔵があったと伝わる。現在、壱岐の焼酎蔵元は7軒。壱岐に着いたらすぐ買い求めた麦焼酎は、壱岐の華酒造の海鴉(うみがらす)。早速、部屋飲みして満足した。

f:id:hantubojinusi:20210802184203j:plain

海鮮料理
最初の宿は国民宿舎だったが、壱岐牛と海鮮料理のグルメプランなので、サザエや鮑、ウニなど、麦焼酎に合う食材をたっぷり味わえた。

f:id:hantubojinusi:20210802190727j:plain

イカ料理
こちらのイカ料理も大変おいしかった。

f:id:hantubojinusi:20210802191025j:plain

湯本湾に沈む夕陽
レストランの窓からは、湯本湾に浮かぶ阿瀬島と黒崎との狭い所に、夕陽が赤く輝きながら海に沈んでいく様子が眺められた。

f:id:hantubojinusi:20210802191133j:plain

湯本湾に沈む夕陽
厚い雲の間に顔を出した太陽から海に照りつける光の道が、朱墨汁で刷いたように幻想的にこちらに向かって届いた。