半坪ビオトープの日記

元寇千人塚、壱岐風土記の丘、塞神社

f:id:hantubojinusi:20210804141512j:plain

元寇「新城の千人塚」
新城神社のすぐ東に元寇「新城の千人塚」がある。千人塚は、「少弐の千人塚」(弘安の役・瀬戸浦古戦場)、「浦海海岸の千人塚」(文永の役の戦死者を葬った場所)など、壱岐島内に6ヶ所確認されているが、この文永の役新城古戦場の千人塚が最も代表的な場所である。

f:id:hantubojinusi:20210804141520j:plain

文永の役新城古戦場
文永11年(1274)の元軍上陸地、勝負坂、唐人原、射場原(いやんばる)、射矢本、勝負本、対陣原(たいのはる)という地名、合戦があった高麗橋、鯛の原など、勝本町新城一帯が激戦地だったことから、ここに文永の役新城古戦場の碑が建てられている。

f:id:hantubojinusi:20210804144821j:plain

壱岐風土記の丘
初日に訪れた掛木古墳は、休館日だった壱岐風土記の丘の敷地内にあった。その壱岐風土記の丘をようやく訪れた。国史跡「壱岐古墳群」を紹介する古墳館と、江戸時代の百姓武家屋敷を移築復元した古民家園が併設されている。

f:id:hantubojinusi:20210804144659j:plain

壱岐古墳群」
初日に見学した掛木古墳・鬼の窟古墳・双六古墳のほか、この周辺には対馬塚古墳・兵瀬古墳・笹塚古墳などがあって国史跡「壱岐古墳群」を構成している。壱岐の古墳の特徴や歴史背景などの資料が展示されている。

f:id:hantubojinusi:20210804143602j:plain

前方後円墳である双六古墳
中でも長崎県最大の前方後円墳である双六古墳は、訪れて外から姿を眺めただけだったが、内部構造や副葬品などの説明を事前に理解しておきたかったと思った。

f:id:hantubojinusi:20210804144402j:plain

百姓武家屋敷・旧冨岩家住宅
江戸時代中期の旧冨岩家住宅は、百姓武家屋敷の「オモヤ(母屋)」が移築され、隠居の老夫婦が暮らす「インキョ」、倉庫や作業場の「ホンマヤ」、牛小屋の「ウシノマヤ」が復元されている。

f:id:hantubojinusi:20210804144007j:plain

旧冨岩家の「オモヤ(母屋)」
オモヤは主人夫婦とその子が住む建物で、ホンケ、ホンケヤとも呼ばれる。寄棟造の屋根は小麦藁葺きで、内部は喰違六間取りで、式台構えの玄関や仏間は他の武家住宅にも見られる。

f:id:hantubojinusi:20210804153714j:plain

塞神社
郷ノ浦で一番の繁華街である「ふれ愛通り」の湊川の入口近くに塞神社がある。

f:id:hantubojinusi:20210804153742j:plain

塞神社拝殿とシンボル

記紀神話」にて、天岩戸に隠れた天照大神を、大胆な裸の舞で誘い出した天宇受売命が猿田彦命と結ばれ、猿女君となって祀られている。その逸話から良縁、安産、夫婦和合にご利益ありと祈願に訪れる人が多く、芸能の神としても人気がある。拝殿脇にある巨大なシンボルと石像の御神体は、夕方になると明るく照らされ神々しい輝きを放つという。

f:id:hantubojinusi:20210804153804j:plain

拝殿内
拝殿内にも男女の営みに関するものがたくさん奉納されている。塞(さい)神社というように、元来、災いを防ぐために村境に祀られた塞の神(疫神の防障、道祖神)として信仰されたので、旅の安全や交通安全を祈る人も多い。

f:id:hantubojinusi:20210804153848j:plain

猿女君
本殿には女石が祀られているが、それは女神の猿女君のことであり、昔から本町本居浦の八坂神社の男神が毎年、祇園祭の際に必ず来輿し、神楽も奉納されるそうだ。

f:id:hantubojinusi:20210804190826j:plain

旅館の夕食
この日も湯本温泉に泊まったが、小さな割安の旅館だったので海鮮の食事も質素だった。

f:id:hantubojinusi:20210805070921j:plain

天の川酒造の3年古酒の麦焼酎

夕方に郷ノ浦の町外れにあった天の川酒造を訪れ、3年古酒の麦焼酎を買い求めていたので、いつものように部屋飲みを楽しんだ。麦焼酎発祥の地ならでは、酒造が多く焼酎の種類もたくさんあるが、それほど飲み比べしている暇はない。