半坪ビオトープの日記

静岡

宿泊した寸又峡温泉のロビーで、姫柿の盆栽をいくつか見かけた。 姫柿はロウヤカキ(老爺柿)、老鴉柿、ツクバネカキとも呼ばれている。 中国原産の雌雄異株で日本で栽培されるようになってからまだ日が浅い。 径2cm前後の小型で、橙から赤色の柿の実がなり…

大井川を遡っていくと、下流の金谷駅から上流の千頭駅まで大井川鉄道が走っている。 レトロなSL列車も一日数本運行されていて、鉄道マニアに人気がある。千頭駅から井川ダムがある井川駅までには、南アルプスあぷとラインの小さな列車が走っている。日本唯一…

本堂内陣の脇にある木造如来座像は、像高65cm、一木造りの座像で、丸顔、螺髪等のつくりから平安時代後期の作といわれ、町の文化財に指定されている。 本堂に向かって右のこの建物は、庫院である。 山門から本堂に向かう左側に鐘楼が建っている。 本堂に向…

智満寺には「信州猫檀家」の伝説がある。 昔、応仁の乱が終わった頃(1500年頃)智満寺の宗芸和尚が一匹の猫を飼っていた。飢饉のため「今のうちにどこか食べ物のある所へ行きなさい」といわれた猫は、「いつか恩返しをします」と出て行った。その数年後、信…

川根の智満寺は、今から1000年前の平安時代に草創され、千手観音菩薩像を本尊とし、山号を千葉山といい、寺号を智満寺と称した。 一説には、島田市の智満寺の末寺として、奥大井の天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿…

袴腰で宝形屋根の三光寺の鐘楼堂は、貞享4年(1687)前住筏山智船和尚のときに建立されている。 この建物は虚空蔵堂という。毎年2月23日が虚空蔵尊の縁日であり、この日にだけ「大般若経600巻」が一般公開される。 三光寺は、足の病を治すという足地蔵を…

大井川の中流域に川根町があり、そこに曹洞宗満家山三光寺がある。貞和2年(1346)京都嵯峨天竜寺の開祖、夢窓国師の開闢の地である。 2018坪を有する境内には、300年を超える杉木立が立ち並び、虚空蔵尊、足地蔵、馬頭観音、文殊・普賢菩薩、白山堂、等を…

元の境内(下島の御仮屋)を「お旅所」として3年に一度、神様が神輿に乗って里帰りをするという大祭りが、元禄8年(1695)より催行され、現在、日本三奇祭といわれる「帶祭」の発祥となっている。 帯祭りの名は、島田宿に嫁いできた女性が安産祈願で大井神…

大井神社は祭神として、水の神・禰都波能売神、土の神・波邇夜須比売神、太陽の神・天照大神を祀る。 大井川流域には当社を中心に現在46社の大井神社があり、かつては72社あったという。 本殿は、文久3年(1863)の再建で、信州の名彫物師・立川昌敬の…

島田市役所西南に大井神社がある。島田の氏神として崇敬篤く、古くは「三代実録」に、貞観7年(865)に同社への神階授与の記録があることから、それ以前には創建されていたとみられている。 延喜式内社ではないが、国史に記録のある国史見在社である。これ…

島田市民病院西にある真言宗の鵜田寺は、「眼薬師さん」と呼ばれ親しまれている。 創建は天平宝字2年(758)と伝えられ、本尊の木造薬師如来坐像は、寄木造りで平安時代末期の作と推定されている。この薬師如来は、弘仁13年(822)頃編纂された「日本霊異…

東海道五十三次の22番目の宿場である藤枝宿の近くに、日蓮宗の円妙山大慶寺がある。門柱だけの門から入ると、本堂前に見事な松の大樹が聳えている。大慶寺開祖日蓮上人お手植えの「久遠の松」である。 寺伝によると、建長5年(1253)比叡山や奈良の寺院で…

不動堂の右には新しい観音堂が建っている。 神亀3年聖武天皇の勅願により行基菩薩が自ら彫ったと伝わる、聖観音菩薩像を安置している。 台座には、本尊・厨子が天和2年(1682)田中城主・土屋政直により再興されたと記されている。またの名を躬立(きゅう…

鬼岩寺には多くの伝説とそれにまつわる物がある。左の岩は鬼かき岩という。弘法大師が鬼を閉じ込めて成敗したという伝承では、その鬼(魔魅)がこの岩で爪を研いでは里人を襲い悩ませていたという。爪痕は7本あるが、この爪痕を3回撫でてお祈りすると願い…

藤枝市の蓮華寺池公園の西に真言宗の楞厳山鬼岩寺(りょうごんざんきがんじ)がある。 永禄13年(1569)武田郡の兵火や、大正4年の火災により昔の大伽藍や数々の寺宝・古記録等を焼失したため、重厚な雰囲気は薄らいでいるが、約1300年の歴史を誇る藤…

先月中旬に静岡県藤枝市から寸又峡を訪ねた。藤枝市のほぼ中央に位置する蓮華寺池公園は、春に桜や藤の花見でにぎわい、夏には蓮の花が池に浮かぶ。日本庭園や水遊び場、アスレチック広場や野外音楽堂などがあり、市民の憩いの場となっている。元は慶長18…

浜松駅近くの浜松市楽器博物館は、日本で初めての公立の楽器博物館で、世界の伝統ある楽器役1200店を地域別テーマ別に常時展示している。 日本の洋楽器製作の歴史を学んだり、数十種の楽器の音色を楽しんだりできる。 第一展示室には日本とアジアの楽器…

浜松市内佐鳴湖の手前にある蜆塚遺跡は、3000〜4000年前の縄文時代後期のムラ跡で、28戸の住居跡、墓地、4ヶ所の貝塚、30体の人骨などが発掘され、国の史跡に指定されている。 史跡公園として整備され、広場の住居跡には平地式家屋が復元されている。 蜆塚…

元亀元年(1570)岡崎城を長男の信康に譲った徳川家康は、三方ヶ原台地にあった今川氏、飯尾氏の曵馬城を拡張して浜松城とした。三方ヶ原の合戦では武田信玄の軍に敗北したが、長篠の戦いなど家康の在城期間は17年になった。家康が駿府に本拠を移した後に…

日本黄檗宗の開祖の独湛禅師は、隠元禅師の弟子で1654年に隠元禅師とともに中国より渡来し、宝林寺を建てた後の1682年、黄檗宗大本山萬福寺の第四代住持となった。宝林寺佛殿内部の左右の壁際には、二十四諸天像が祀られている。 二十四天善神ともいうが、関…

初山宝林寺は、徳川将軍旗本の金指近藤二代目貞用が寛文4年(1664)に中国(明)の高僧、独湛禅師を招いて開創した黄檗宗の寺であり、浜名湖湖北五山の一つである。 元禄6年(1693)に建てられた山門は、木割りの太い柱を用いた一間一戸四脚門で、屋根は杮…

浜名湖の北東、浜松の北西にあたる、金指にある実相寺は、嘉慶元年(1387)悦翁和尚が開山した臨済宗方広寺派の寺で、秀吉、家康に仕えた旗本、近藤登之助季用(すえもち)を開基とし、その長子貞用(さだもち)により当地に移された。万治3年(1660)寺号…

細江町にある姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館は、姫街道を通行する人々の道具や町内で発見された銅鐸などを展示する幅広い資料館である。 入り口脇には、県指定民俗文化財の旧山瀬家の産屋が保存されている。右奥には東林寺が見える。 姫街道の名の由来や、銅…

気賀関所の本番所の向かい側には、向番所があり、「入り鉄砲に出女」というように人質の大名の妻子などが逃げ帰るのを厳しく取り締まった。 手形などを調べる女改めには関所役人の母親など姥があたった。 向番所の奥にはがっしりとした牢屋が設けられ、さら…

浜名湖の北に位置する気賀関所は、慶長6年(1601)徳川家康によって設置され、姫街道の重要な関所となっていた。東側に冠木門があり、ここから関所に入る。向こうに見えるのは町木戸門で、気賀宿と接していた。平成元年(1989) にふるさと創生事業として、…

さて、浜名湖畔の舘山寺は、弘仁元年(810)弘法大師により開創されたと伝えられる。明治3年、廃仏毀釈により真言宗廃寺となる。明治23年秋葉山より牧泰禅和尚を招請し、曹洞宗の禅師として再興された。 その際、山号も中嶺山を秋葉山に改め、秋葉三尺坊…

大福寺、摩訶耶寺から三ヶ日に出て、大崎半島で区切られた猪鼻湖を見ながら南に向かう。三ヶ日といえば半世紀前に古い人骨が出て、以前は旧石器時代の三ヶ日人と呼ばれていたが、最近の研究では約9000年前の縄文時代早期とされる。ちなみに近くの浜北人は、…

大福寺の近く、同じく浜名湖湖北五山の一つである摩訶耶寺は、神亀3年(726)聖武天皇の勅願寺として行基が開基した真言宗の古刹で、遠州屈指の名園を持つ。 当初は奥山富幕の山中に在って真萱堂と称し、平安時代初期に千頭峯に移され、平安時代末期にさら…

三ヶ日に近いここも浜名湖湖北五山の一つで、高野山真言宗の瑠璃山大福寺という。貞観17年(875)鳳来山に創建された幡教寺を、土御門天皇のとき(1207)勅願を下賜され大福寺と改称し、現在地に移した。本堂に安置されている本尊の薬師如来は鳳来寺の薬師…

建徳2年(1371)に建てられた方広寺の本堂はたびたび焼失し、現在の本堂は大正4年に完成した。間口32m、奥行き27mと東海屈指の偉容を誇る。 釈迦三尊像は観応2年(1351)の作で、元は関東の佐竹氏の菩提寺にあったもので、水戸光圀により修復されたこ…