半坪ビオトープの日記


さて、また年末に出かけた下田の町に戻って続けよう。大安寺の北、市民文化会館の横に八幡神社がある。

参道入口には神橋が架かり、その左には「迎神の松」が見事な枝振りを見せている。

正応年間(1288~93)の創建といわれ、下田奉行も着任寺に最初に参詣したと伝えられている。
夏の祭りで有名な下田太鼓祭りは、この神社から出発する。神輿などの後ろから各町の太鼓台が繰り出し、町内をくまなく練り歩く。第二代下田奉行、今村正長が制定したもので、大坂夏の陣に大勝した徳川方の軍勢が大坂に入城したときの陣太鼓をまねたものである。
参道を進むとりっぱな神門が見えてくる。神門の手前には俵が供えられ、その手前には茅の輪がある。茅の輪くぐり(まつり)は、無病息災を願う神事で、一般に夏越の祓(なごしのはらえ)の6月晦日に行われるが、6月・12月の晦日と年2回行う神社もある。
右手にどういうわけか鐘楼がある。神仏混合時代の名残なのか、隣にあった寺の名残かわからないが、どうみても八幡神社の境内の中と思われる。

参道の左側に力石がある。文化12年(1815)、38貫目(143kg)、愛宕丸、清兵衛船と書かれている。

八幡神社再建の碑によれば、永正4年(1507)建設の社殿は享和2年(1802)失火により焼失、文化4年(1807)再建される。爾来、下田の総鎮守として崇敬を集めるが、昭和58年(1983)不慮の事故により出火全焼する。昭和61年(1986)権現造りの壮麗堅固なる社殿および手水舎が新築完成したという。
八幡神社には、裏山から発見された古い鰐口が保管されている。「下田村若宮」と刻まれており、下田の地名の初出と思われ、応永6年(1399)の刻銘があるので、下田村の成立時期は南北朝・室町初期ではないかと考えられている。

拝殿の裏の本殿も同じように重厚な造りだが、くっつきすぎていてよく見えない。主祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)である。

拝殿の右には、石造りの仁王2体が祀られる粗末な仁王堂があり、その右に小さな稲荷神社もあった。