旅の最後に京の奥座敷にある鞍馬寺と貴船神社を巡る。鞍馬寺は、天狗や牛若丸にまつわる伝説や寺宝を有するユニークな寺で、参道途中にある由岐神社は鞍馬の火祭りでも知られる。仁王門は寿永年間(1182-84)創立と伝わる。明治24年(1891)に焼失し、明治44年(1911)に再建された。安置されている仁王像は、湛慶(運慶の嫡男)の作と伝えられ、再建時に丹波国から移されたという。
鞍馬寺は、天台宗系の鞍馬弘教の総本山で、仁王門から九十九参道を登り、由岐神社を経由して本殿まで歩くこともできるが、時間があまりないのでケーブルを使うと、ケーブル山上駅には多宝塔が建っている。元は本殿東側にあったとされるが、江戸時代に焼失し、ケーブル開通後の昭和35年に現在地に再建された。護法魔王尊の像を安置するという。
すぐ右手には、転法輪堂が建っている。江戸時代の木造阿弥陀如来坐像が安置されている。平安時代に13年間も堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続けた重怡上人が、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来という。
さらに石段を上がっていくとようやく本殿金堂に辿り着く。昭和46年(1971)の再建である。本尊は三尊尊天(毘沙門天王・千手観音菩薩・護法魔王尊)で、脇侍は役の行者・遮那王尊である。本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉される。狛犬ならぬ「阿吽」の虎は、本尊毘沙門天の使いである神獣。毘沙門天の出現が寅の月、寅の日、寅の刻とされることによる。本殿金堂手前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模している。
本殿金堂前の広場からは、南に鞍馬の谷や山が見晴らせる。しめ縄で囲まれた一角は翔雲台。平安京の擁護授福のため本尊が降臨した所という。中央の板石は、本殿金堂の後方より出土したという経塚の蓋石。
本殿金堂の左手(西)に光明心殿が建っている。650万年前に金星から降り立った護法魔王尊を祀っている。その年齢は16歳のままで歳をとることのない永遠の存在であるという。
光明心殿の左手から奥の院に向かう細い参道がある。少し進むと霊宝殿(鞍馬山博物館)がある。1階は自然科学博物苑で、鳥獣・岩石・きのこ・昆虫・陸貝・植物など鞍馬山の自然の相を展示している。2階は与謝野記念室、寺宝展観室、3階は仏像奉安室となっている。平安時代後期の木彫毘沙門天立像や鎌倉時代の吉祥天立像、善膩師童子立像などの国宝のほか重要文化財の仏像も展示されている。鞍馬山の奥の院魔王殿はかなり先なので、ここで引き返し、貴船神社に向かう。
貴船神社は、水神である高龗神(たかおかみのかみ)を主祭神として祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰されてきた。創建の年代は不詳だが、社伝では反正天皇の時代とする。神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祀ったのに始まると伝える。社名の由来は「黄船」とし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える。白鳳6年(666)に最古の社殿作り替えの記録がある。社殿は本宮、結社(中宮)、奥宮の3箇所に分かれて建っている。本宮は、本殿、拝殿、権殿からなる。
貴船神社は水を司る高龗神を祭神として祀るように、雨乞いや雨止み神事によって、京都の水を守り続けてきた。貴船山から湧き出る神水は、弱アルカリ性の水で、一度も枯れたことがないという。水で吉兆を占う「水おみくじ」が有名で、水に浮かべると内容が浮き出てくるという。
本宮の向かいにある桂の木が神木となっている。多くの幹が真っ直ぐに伸び、ある高さで八方に広がる姿を龍の昇天になぞらえるという。貴船神社は古くは「気生嶺」「気生根」と書いたというが、大地の気が発生する地の意味だとされ、桂の蘖(ひこばえ)の多さが関係しているようだ。