半坪ビオトープの日記

真鶴、貴船神社


真鶴港の入口辺りを見守るように貴船神社が建っている。京都の有名な同名の貴船神社からの勧請ではない。貴船祭りでは、この急な108段の清めの石段を神輿を担いで下るという。

石段の参道の上に境内があり、社殿や御船舎、山神社などの建物が並んでいる。

貴船神社は、社伝によると寛平元年(889)、真鶴岬三ツ石の沖に現れた木像12体と書状を社家・平井家の祖先の平井翁が発見し、村人と共に社殿を建てて村の鎮守にしたのが始まりと伝える。江戸時代まで貴宮大明神と称するなど、キノミヤ信仰が顕著であるが、明治元年貴船神社に改称した。キノミヤ信仰とは神奈川県西部から静岡県伊豆半島にかけて広く分布し、小田原の紀伊神社(旧称、紀伊宮・木宮大権現)や熱海の来宮神社のように、木宮、来宮、貴宮、黄宮、木野宮、紀伊宮などと書かれ、祭神は一定ではないが、樹木神か漂着神を祀る場合が多い。その由来には諸説あり、定説を見ない。「来の宮」説は、漂着物を神体として祀ることから漂着神=寄り来る神に由来するといい、「木の宮」説は、神木を信仰する樹木信仰あるいは木地師の信仰に由来するとし、「紀の宮」説は、紀伊国の神=熊野権現などに由来するとの説だが、これは木の宮の亜種とも見られる。
大正12年関東大震災で全ての建物が倒壊したが、現在地に移転し漸次復旧し、昭和38年本殿以下銅板葺鉄筋コンクリートの社殿が完成した。拝殿および幣殿には江奈の半兵衛邦秀の名作に係る清朝二十四孝の彫刻(嘉永元年(1848)作)13面が掲げてある。
祭神としては、大国主命事代主神少彦名神が祀られている。

社殿の左手、境内の突き当たりに祖霊社が建っている。昭和39年に旧本殿を祖霊社としたというが、元々本殿だけあって組み物も重厚で、虹梁上や木鼻などに見られる彫刻も精巧なものである。

祖霊社の左隣には境内社の山神社が建っている。改築記念碑文には、大略次のように書かれている。当社が大山祇神を奉斎する由緒は不詳。当地方は奈良時代より石材の産出がなされるにより、古来より石材関係者の信仰篤く、真鶴半島に奉祀されていた。数次の移転改築後、大正8年に貴船神社に奉遷し、昭和50年に現在地に移転改築した。
山神社の社殿虹梁には、赤青白に配色された龍が2頭、向き合って睨みを利かせている。

社殿の中の扉は閉まっていたが、扉の周りには松竹梅の彫刻が施されていた。

山神社の手前左側には、神輿舎が建っている。中には貴船祭りで担ぐ神輿が安置されている。

御船舎には、貴船祭りで使われるものやその様子が展示されている。7月27・28日の例祭は貴船祭りと呼ばれ、「日本三船祭」の一つとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

祭りの形は、縁起によれば江戸初期までは神座船を造り港内の漁船や運送船の祈祷をして回ったものが、その後は村内を巡行し村祭りとして定着したといわれる。

拝殿の後ろには本殿が少しだけ見える。社殿の右手前には、本町産出の本小松石作りの「厄除厄払門」が安置されている。
他にも境内社の稲荷神社や船玉竜神社、小さな末社の淡島大明神、恵比寿大黒社なども祀られているという。