半坪ビオトープの日記

真鶴、鵐窟


湯河原に向かう途中、真鶴半島も散策した。陸からも三ツ石など眺めることができるが、遊覧船で海上から真鶴半島巡りを楽しもうと真鶴港に着いたが、冬季休業のため乗船できなかった。

真鶴港には真鶴魚市場・魚座があり、魚市場見学や磯料理の食事もできる。その魚座の近くに、源頼朝が隠れた鵐窟があり、その手前には頼朝観音も祀られている。

頼朝たちが房総・安房へ船出する際、観音様が船頭となって助けてくれたという言い伝えがあり、後に観音像が祀られるようになったという。

治承4年(1180)頼朝は石橋山の戦いに敗れ、一時土肥椙山に逃れ、さらに安房に渡り逃れる際、土肥実平安達盛長等の主従七騎はこの窟に隠れたという。

頼朝らがここに隠れようとした折、窟の内より鵐(しとど)という鳥が舞い出たということから、後世この窟を鵐の窟(しとどのいわや)と呼ぶようになった。

頼朝らがここに潜んでいた時、捜索に来た大庭軍の梶原景時がこれを見つけたが、見方を欺いてそれを隠し、頼朝の命を救ったというエピソードもある。景時の計らいで九死に一生を得た頼朝は、その後鎌倉に降伏してきた景時を御家人に加え、頼朝の懐刀として厚い信頼を置いたという。

鵐の窟のすぐ右には、大きな石がごろごろと横たわっている。

真鶴は古くから石材業が盛んで、嘉永7年(1851)冬に完成された品川の台場にも真鶴の石が使われた。後にこの台場が埋め立てにより姿を消すことになり、昭和40年この鵐の窟の横に礎石だけが移され、品川台場礎石の碑と彫られたという。