半坪ビオトープの日記

天龍寺宝厳院

桂川沿いの嵐山
春は桜、秋は紅葉で名高い渡月橋から見る嵐山は、京都でも屈指の名勝だから一年中観光客が絶えない。天龍寺は嵐山を借景にした有名な曹源池庭園のほか、法堂天井の雲龍図など見所も多いが、今回は桂川沿いを歩いて天龍寺宝厳院の庭園だけを訪れる。

天龍寺宝厳院
宝厳院は春と秋のみ特別公開している。紅葉の時期には早かったが、入り口前の参道でも少しは色づいていた。

庭園「獅子吼の庭」
宝厳院は寛政2年(1461)に室町幕府管領細川頼之が無窓疎石の孫弟子・聖仲永光を開山に招いて創建した。かつては上京区に広大な寺域を誇ったが応仁の乱1467-77)などで荒廃し、天正年間(1573-91)に再建された。明治時代になり、本堂の老朽化などを理由に天龍寺の境内にある弘源寺の敷地内に移転した。現在も天龍寺塔頭寺院の一つである。庭園は「獅子吼の庭」と呼ばれる借景回遊式庭園。室町時代の禅僧・策彦周良(さくげんしゅうりょう)の作庭。

獅子吼の庭、瀧門瀑
獅子吼の庭の大きめの玉砂利が敷き詰められた様は、苦海を表している。右手奥の石組みが瀧門瀑。

無礙光堂
こちらの建物は無礙光堂。永代供養堂とか代位牌堂ともいう。無礙光とは、阿弥陀如来が放つ「十二光」の一つ「何ものにも遮られることのない光」を指す言葉という。

九輪塔の奥に本堂
九輪塔の右手奥に本堂が垣間見える。本堂は2008年の再興。本尊の十一面観音菩薩が安置されている。田村能里子作の障壁画がある。

巨石「碧石」
散策路脇に巨石が現れる。「碧石」という。2億年前の海底に堆積した微生物などが圧縮された硬い岩石(チャート)である。大堰川上流、有栖川上流、龍安寺の山手より産出。向こうに垣間見ることができる建物は、茶室「無長庵」であろう。

豊丸
この箒を逆さにしたような風変わりな垣根は、豊丸垣(ほうがんがき)という。茶人の名に由来するらしい。

獅子岩
庭園中央に鎮座する大岩は、「獅子が咆哮する様」に似ることから「獅子岩」と呼ばれる。庭園の名前の由来である「獅子吼」とは、「仏様が教えを説く」という意味があるという。

羅漢像
宝厳院の周辺や境内には日本各地から奉納された羅漢像が祀られている。

ライトアップ用の竹筒
真っ赤に燃える紅葉の下に見える数々の竹筒は、夜間ライトアップの竹灯りの演出用である。

大堰川の木標
大堰川の木標「渡月橋の袂に立っていた親柱」が、「光悦寺垣」の手前に立てられている。大堰川とは渡月橋が掛かる桂川のことである。

蓑垣と茶席「青嶂軒」
獅子吼の庭は細い竹を吊るした垣根が周辺を取り囲んでいる。右手の垣根は宝厳院特有の蓑垣という垣根で、先ほどの豊丸垣と合わせて「宝厳院垣」と呼ばれている。道を挟んだ左手には茶席「青嶂軒」。大正時代の建物で、2003年に修復された。青嶂(せいしょう)とは、「樹木が青々と生い茂る高く険しい峰」という意味だという。