半坪ビオトープの日記

大原三千院

大原三千院
迎春 本年もよろしく 昨年は隠岐だけでなくあちこち巡ったので、遡りながら振り返っていく。まずは、11月上旬の京都。京都も数十年ぶりで、行きたいところがまだたくさんあるが、とりあえずは時節柄の紅葉狩りで、大原三千院から巡る。京都北東の山中、かつては奇人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある天台宗の寺院。山号は魚山。三千院門跡とも称する。

三千院の玄関、御殿門

三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、度重なる移転の後、明治4年(1871)現在地に移った。「三千院」「三千院門跡」という寺名は大原移転以降のもので、それ以前は円融院、梶井門跡などと呼ばれた。一方、境内にある往生極楽院は、平安末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂で、三千院と往生極楽院は元来は別々の寺院である。

三千院の玄関口である御殿門は、高い石垣に囲まれ、門跡寺院に相応しい風格をそなえた政所としての城郭、城門を思わせる構えとなっている。

客殿から見る庭園・聚碧園
客殿は平安時代、龍禅院と呼ばれ、大原寺の政所であった。豊臣秀吉が禁裏修復の余材を持って修築された。客殿各室には、当時の京都画壇を代表する画家たちの襖絵が奉納されていたが、現在は宝物館である円融蔵に所蔵されている。客殿から見る池泉鑑賞式庭園・聚碧園は、江戸時代の茶人・金森宗和の修築と伝えられる。

庭園・聚碧園
庭園の東側は山畔を利用した上下二段式とし、南側は円形とひょうたん形の池泉を結んだ池庭を形成している。

庭園、有清園
宸殿は後白河法皇により始められた宮中御懺法講(声明による法要)を今に伝える道場である。宸殿より往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園である有清園は、中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運(385-433)の「山水清音有」より命名されたという。青苔に杉や檜などの立木が並び、紅葉と木漏れ日が醸し出す雰囲気が魅力である。

木立の間から垣間見る宸殿
往生極楽院へ向かう庭から振り返ると、宸殿を木立の間から垣間見ることができる。

紅葉
この辺りの紅葉はとりわけ色鮮やかである。

往生極楽院
往生極楽院は、寺伝によると、寛和2年(986)に『往生要集』の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため姉の安養尼と共に建立したと伝わる。お堂に比べて大きい「阿弥陀三尊像」(国宝)を納める工夫として、天井を船底型に折り曲げている。中尊の阿弥陀如来は来迎印を結び、右の観世音菩薩、左の勢至菩薩共に少し前屈みに跪く「大和坐り」で、慈悲に満ちた姿とされる。