半坪ビオトープの日記

土肥温泉、龕附天正金鉱


2月中旬にいつもの遊び仲間と伊豆半島の土肥温泉に出かけた。土肥温泉は土肥金山があったことで知られるが、その金山開発中の慶長16年(1611)に、安楽寺境内の坑口から温泉が湧出したのが始まりであり、この源泉は発見者の間部彦平に因んでまぶ湯と名付けられた。

近代土肥温泉は、明治33年に馬場地区で飲料用井戸を掘った際に、温泉が湧出したのが始まりである。海岸には長い砂浜があり、夏には海水浴客で賑わう。北には旅人岬や戸田に至る海岸線が続く。

少し南には八木沢海岸や恋人岬が見渡せる。そこまで足を伸ばせば、南アルプス連峰や富士山が駿河湾越しに見られるという。

土肥金山の南に龕附天正金鉱がある。天正5年(1577)に開発された手掘りの金鉱で、代官彦坂元成により運営されていたが、慶長年間に江戸幕府金山奉行大久保長安の支配となり、慶長11年(1606)に最盛期を迎える。

坑道入り口に案内所があり、おじさんが案内してくれるとのことだったが、あいにく不在で見学できなかった。坑道の外、左下に金銀鉱脈の体験掘りができる場所がある。

右手奥に坑道略図がある。古い坑道は、山柿の大木が坑口にあり柿木間歩といわれた。全長100m、再奥部まで60m。松明をつけて作業していたので逆さ階段など換気を考えた工夫が見られる。最奥に龕(女陰型金脈龕)が祀られている。最奥に金銀が多量に埋蔵する鉱脈を坑夫が発見し、これ以上掘り進むと祟りがあると恐れ、龕を彫り山の神として祀ったところで、全国的にここだけとされ、考古学者軽部慈恩により龕附天正金鉱と名付けられた。

坑内の様子を説明する案内板を見ながらさらに斜面を上っていくと、旧坑道に至るようだ。旧坑道は非常に狭いといわれるが、次に来るときには天正金鉱の中に入ってみたいと思う。

昔からこの辺りは釜屋敷と呼ばれるが、坑道入り口近くで金の精錬炉跡も発見されている。崖には石切り場もあった。この辺りの石は、お台場の石として使われたという。