半坪ビオトープの日記


下田港に注ぐ稲生沢川河口にはたくさんの金目船が停泊している。金目鯛の水揚げが日本一の下田市内には金目鯛料理専門店も多い。
この「網元きんめせん曻龍」は、店名の通り、以前は金目船を所有していた網元だったが、今では専門店を切り盛りしている。
ガイドブックにも載っている店なので、勢い込んで金目鯛の煮魚定食(頭)を注文したのだが、味付けが濃すぎて期待したほど美味しくはなかったのが残念だった。

下田市内には江戸・明治・大正時代の民家がたくさん残されている。特になまこ壁と伊豆石の土台からなる古民家は、幕末の下田の風情を感じさせてくれる。なまこ壁が使われたのは江戸時代からで、度重なる大火の延焼防止策として幕府が旗本屋敷の外側に使ったのが始まりで、参勤交代により全国に広まった。下田では安政元年(1854)の大津波で壊滅的な被害を受けたとき、幕府が下田復興にあたり外国に対し恥ずかしくない美観と防火のために奨励したという。

この鈴木家「雑忠(さいちゅう)」は、和歌山から移住した雑賀衆(さいがしゅう)を先祖にもち、江戸時代初期から伊豆石や炭などを江戸に運んで栄えた廻船問屋で、下田奉行所の取り次ぎをする船改めの世話役にもなって栄えていた。文政元年(1818)に建てられ、安政の大津波にも難を逃れた鈴木家「雑忠」は、下田の復興にも尽力した。

こちらの明治末期に建てられた鈴木家の建物は、伊豆石の土台の白壁が美しい。

ペリーロードで見た土佐屋は、安政の大地震直後に建てられた廻船による海運業の店であった。