半坪ビオトープの日記


了仙寺の入口脇に小さな御獅子神社がある。将軍家光の時代に伊勢よりこの地に移り住んだ伊勢屋五兵衛が、許可を得て伊勢神宮の神楽製作の残木で獅子2体を作らせて下田に持ち帰り、弥治川町に祠を建てて町内の守護神として安置したのが由来という。

了仙寺から弥治川沿いの下田港に向かうペリーロードと呼ばれる小径には観光客が多く歩いている。

南(右)の山側に曲がると長楽寺(真言宗)がある。高い石垣の上にあった梵鐘はよく響き、江戸時代から「時の鐘」として下田港に停泊中の船舶や町民から親しまれていたが、戦時中に供出された。現在の鐘楼と梵鐘は昭和51年に再建されたものである。

弘治元年(1555)に中興開山尊有により再興された大浦山長楽寺は、安政元年(1854)12月にロシア使節プチャーチン日露和親条約が締結された場所である。この条約によって、択捉・国後・歯舞・色丹の北方四島は日本領と確定した。この交渉中に安政の大地震と大津波によって下田の町は壊滅的な状況となり、高台の玉泉寺と長楽寺が交渉場所となったのであった。
長楽寺の資料館には、黒船関係の資料や旧ソ連大使館より寄贈された民芸品(マトリョーシカ)などが展示されている。

本堂の前にレオノチスセージが咲いていた。サルビア属ではなく、レオノチス属のレオヌルス(Leonotis leonurus)という南アフリカ原産の非耐寒性低木で、日本の暖地では戸外で越冬できる。属名は、ギリシア語 leon(ライオン)と ous(耳)に由来するが、一般にはライオンのしっぽ(Lion's Tail) と呼ばれることが多い。

弥治川沿いのペリーロードに、ソウルバー「土佐屋」がある。日米和親条約日露和親条約吉田松陰の密航失敗があった、安政元年に建造された土佐屋は、160年近い古いなまこ壁の目立つ建物だが、SOUL MUSICが流れる創作料理屋として人気があるそうだ。