半坪ビオトープの日記

清澄寺、仏舎利塔


外房線安房天津駅から北上すると、清澄山の標高310m付近に日蓮宗清澄寺(せいちょうじ)がある。寺伝によると、宝亀2年(771)不思議法師が当地を訪れ、虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し山岳信仰霊場になったという。山頂近くに古い柏の木があり怪しく千光を発していたことから山号を千光山とし、柏の木の下に水の涸れた池があって、加持すると清泉がたちまちに湧いたことから寺号を清澄寺としたという。仁王門は、文久3年(1863)の建立である。

仁王門をくぐると左手に観音堂、石段の上に祖師堂と大堂があり、右手にはこの信育道場と報恩殿が建っている。小さい報恩殿は、道善房の尊像を安置している。

その先に進むと右手に、建治2年(1276)に亡くなった道善房の墓所がある。道善房は日蓮の恩師で、日蓮が12歳で清澄寺にのぼった際、道善房に薬王丸という名をもらったとされる。

その先には納経塔がある。檀信徒等が書いた題目写経も納められている。

納経塔の向かい左側に、大きな神木の千年杉が立っている。樹齢は約800年といわれ、高さが約47m、幹周りは約15mあり、日本最大級の杉として国の天然記念物に指定されている。

清澄寺は、不思議法師の創始の後、承和3年(836)慈覚大師円仁が訪れて再興され、天台宗とされたという。鎌倉時代には栄えたが、室町時代後半から衰退し、江戸時代の初期に頼勢法印により再興され真言宗となり、昭和24年に日蓮宗に改宗された。
千年杉を左に見てさらに進んでいくと、右手に練行堂が現れる。ここで慈覚大師及び日蓮聖人が修行を重ねたとされている。建長5年(1253)日蓮32歳のとき、この練行堂に籠って練行を重ね、4月28日満願の日の未明に清澄山の旭が森に立ち、大洋から昇る旭日に向うと、思わず南無妙法蓮華経の題目が口から飛び出して法華宗が誕生し、やがて日蓮宗となったという。

なおも進むと右手の高台の上に日蓮銅像があるのだが、後回しにして先に進むと広々とした広場に出る。そこに大きな仏舎利塔が建っている。この仏舎利塔は、大岡實のデザインによる日本山妙法寺のもので、清澄寺のものではない。近くに妙法寺の道場もある。

清澄寺に戻る途中、日蓮聖人像へ昇る石段から、日本山妙法寺の本堂が見下ろせた。

日蓮聖人の銅像が建つ高台の旭が森からは、日本一早く朝日が見られるという。今でも4月28日の夜明け前に、信徒達はお題目を唱えながら日の出を待つ「暁天法要」が催される。