半坪ビオトープの日記

覚翁寺


勝浦駅の南東、市立図書館の隣に、浄土宗の覚翁寺がある。代々徳川家の幕臣であった植村家の菩提寺である。山門は昭和55年に修復されている。

初代植村泰忠は出家し、還俗後より3000石を受け、勝浦城を建てた。今でも続いている日本三大朝市の一つである、勝浦の朝市を創設した泰忠により、慶長年間(1596-1614)に城内に浄林寺が創建された。寛永11年(1634)に2代目植村泰勝が死去した際、現在地に移され、泰勝の幼名覚翁丸から「覚翁寺」と名付けられた。鐘楼堂は大正9年に改築されている。鐘楼堂の虹梁にある波の彫刻は、嶋村光俊の作といわれる。

本堂は昭和4年に大修繕されている。本尊は阿弥陀如来三尊来迎立像で、慈覚大師の作と伝えられている。

文化2年(1805)覚翁寺の欄間2面に初代波の伊八によって「波に龍」が彫られているのだが、正面の金色の欄間ではなく、その左右の端にある赤褐色の欄間で、ほとんど写ってないのが残念である。

境内には創建時より湧き水が多く、寺を「出水山」と号して、地名の発祥地になった。湧き水は現在も絶えず、別名「茶水寺」とも呼ばれる。

境内右手の墓地の裏手、一段高くなった一角に、植村氏歴代の墓や宝篋印塔がある。

正面には右から三代泰朝、四代忠朝、五代正朝の宝篋印塔が並んでいる。

一番右の四角の墓は、累代の墓で、その次から初代泰忠、二代泰勝、少し空けて左に三代泰朝の宝篋印塔が見える。

入口左手には、初代植村泰忠の自然石の墓が別に建てられている。