半坪ビオトープの日記

笠森観音、四方懸造


笠森観音は、正式名称を天台宗別格大本山大悲山笠森寺と称し、延暦3年(784)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたと伝えられている。

観音堂は、長元元年(1028)後一条天皇の勅願により建立され、その建築様式は61本の柱で支えられた四方懸造で、日本唯一の特異な建築物として国の重文に指定されている。

現在の観音堂の上屋部は、正面の桁行5間、側面の梁間4間の寄棟造で、外陣は白木造、岩上の柱の構成が見事である。

昭和の修理時に墨書銘から文禄年間(1592-95)の建物と判明している。
本尊の十一面観世音菩薩は秘仏となっていて、御開張の時期以外は直接拝観することはできない。

75段の階段を上がった回廊から、暖帯林の森や房総の山々が眺められる。重文の室町時代の鋳銅唐草文釣灯籠は、県立博物館に保管されている。

観音堂の上からは境内もよく見下ろせる。足下に宝篋印陀羅尼塔、右手の二天門の左に六角堂があり、その上に鐘楼が見える。

階段を下りると上り口の前に宝篋印陀羅尼塔が建っている。

「興楽の鐘」と書かれた石碑の脇の石段を上っていくと六角堂がある。その中に子育地蔵尊が祀られている。

六角堂に向かい合って小さなお地蔵様がある。「沖縄塚建立の由来」には沖縄での戦火の犠牲者を供養するためとある。

さらに上ったところに鐘楼堂がある。釣鐘は、総重量350貫、丈6尺、口径3尺3寸で、いつ撞いてもよいそうだ。