半坪ビオトープの日記

飯縄寺、鐘楼


外房の最も東に突き出た太東崎の近くに飯縄寺がある。一年前に大改修されたばかりの仁王門は、正徳4年(1714)に建てられたもので、室町期様式の茅葺屋根が美しい。

仁王門脇間の金剛柵と花頭窓の上には、サーファーから「波乗り天狗」と呼ばれている珍しいデザインの白い蟇股がある。

仁王門中央通路の蟇股にも、からす天狗が波に乗っていて面白い。

境内に入ってすぐ左の寺務所で拝観料を払うと、目当ての本堂内は写真撮影禁止というので、あらかじめ写真セットを買い求めた。

本堂に向うとすぐ右手に、厳つい切妻瓦葺屋根の手水場があった。

その奥に建つ鐘楼は、弘化3年(1846)の建立で、入母屋造瓦葺き、石造袴腰上に土台を据えて高欄付き廻縁を設けている。上総国東金町住人建方彫工大木飛騨藤原綱行の銘が残っている。細部まで彫刻を施す手法は江戸時代末期の特色である。

腰組は、唐様三手先の詰組形式、腰羽目には動物彫刻が施されている。左面の左下が龍で、その右に虎が彫られている。珍しいことに上層、頭貫の交差点で、獅子鼻の木鼻二つが合体して四隅で4体となっている。頭貫の上の中備の彫刻も花鳥風月が彫られていて興味深い。

境内は広々として随所に花木が植えられ、きれいに手入れが行き届いている。鐘楼までの境内と飯縄大権現の本堂がある場所とは、玉垣のように石の垣根で区切られているようだ。神仏習合から神仏分離となった事情を反映していると思われる。石灯籠は三つ穴灯籠であった。