半坪ビオトープの日記

潮来市観音寺


前日訪れた潮来市長勝寺より北の高台に上っていくと、真言宗の瑠璃光山観音寺がある。
大同2年(807)に、筑波山別当であった法相宗の徳一大師により開創された。当初は現在地の西方、尾ノ詰に建立されたが、数度の大火により移転を余儀なくされ、観応2年(1351)領主藤原国安が除地五石を寄付し、乗印僧都が現在の上戸の地に再建した。観音寺には観応2年内蔵頭藤原国安銘の鰐口が保存されている。

参道正面には茅葺の山門が建っている。寛政年間(1789-1802)に建てられたという、珍しく妻入りの四脚門である。

正面の薬師堂の右手に本堂がある。本尊は聖観世音菩薩像を須弥壇上に祀っている。脇仏として、大日如来像と日光菩薩像を祀っている。
観音寺には小野小町伝説が残っていて、平安時代、眼病を患った小町が百日間参籠を続け快癒を祈願したところ見事全快し、シダレザクラを寄進したという。本堂手前に植わっているのがそのシダレザクラで、現在は3代目という。当初観音寺があった尾ノ詰も小野住(小野小町が住んでいた場所)が由来ともいわれている。

山門を入って正面に見えるお堂が、茅葺の薬師堂である。3間四方の寄棟造で、屋根は釘を用いず、四方から中心に向って集まる垂木を一本の梁が支えている格天井様式である。
建立年代は不明だが、蟇股、実肘木、木鼻等の絵様、彫刻などの古い様式から、室町時代末期と推定され、県の有形文化財に指定されている。天井には狩野元信の筆とみられる龍の絵が残されている。

細部手法は和様を主体とするが、板壁を縦張り目、抜打とするなど唐様を混ぜている。建物の正面のみ蔀戸を釣り、他を板戸及び板壁とするなど住宅風を加味した質素な造りである。

薬師堂の左手前にも小さな石仏が祀られている。

その手前、墓地を背に、新しそうな修行大師像が立っている。

墓地には新しい墓石に混じって、きわめて古そうな小さな墓石もたくさん並べられていた。