半坪ビオトープの日記

三段壁、千畳敷、円月島


白浜町にはいくつか自然景勝地があるが、断崖絶壁の名勝と知られるのが三段壁である。その入口左手に牟婁文殊堂、徳風地蔵尊、西国三十三ヶ所霊場がある。文殊堂は昭和初期、上富田町で生まれた魯山和尚が中国にある文殊菩薩の総本山五台山から授かり、白浜町千畳敷に建立、その後、昭和30年に現在の三段壁に移された。老朽化が進んだため、昨秋、新しく修復されたばかりである。

紀伊半島南部西海岸は、南紀白浜温泉「崎の湯」の1.8km南の海に直立する、長さ2km、高さ50〜60mに及ぶ柱状節理の大岸壁で、断崖には展望台が設けられ、雄大南紀の海景を見ることができる。こちらが北壁である。

三段壁の名称の由来は、魚の群れ(鯨との説もある)を見つけるための監視場(見壇)があり、これが転じて見段壁から三段壁になったという説が有力である。近年は減少しているとはいえ、自殺の名所としても知られる。こちらが南壁である。
今秋、オーストリアの飲料会社・レッドブル主催のハイダイビング(高飛び込み)世界選手権が日本で初めて開催されることが決まった。地元では、「自殺の名所という三段壁のイメージを変える好機」と歓迎している。

三段壁には、平安時代源平合戦で知られる熊野水軍が船を隠したという伝説の洞窟がある。地上から地下36mの洞窟へエレベーターで降れば、再現された番所小屋、砕ける波しぶき、対岸にある潮吹き岩などを見学できる。

三段壁の北西、約1kmにある景勝海岸は、千畳敷と呼ばれ、国の名勝に指定されている。広さはおよそ4ヘクタールで、畳を千枚敷けるほどの広さが名前の由来である。

千畳敷は、新第三紀層の砂岩からなる、太平洋に面したスロープ状の広大な岩盤である。砂岩は非常に柔らかいため、打ち寄せる波の侵食を受け、複雑な地形を形成している。西に伸び出た瀬戸崎の先端にあるため、広大な太平洋へ夕日が沈む光景は、「日本の夕陽百選」にも選ばれている。

三段壁から千畳敷まで遊歩道があり、徒歩20分ほどで歩ける。

白浜温泉のある白良浜は、石英の砂からなる白い浜辺で、白浜という地名の由来となった。近畿地方屈指の海水浴場でもあり、例年5月3日に行われる海開きは、本州で最も早い。海水浴シーズンには60万人を超え、年間約100万人が訪れる白浜温泉だが、砂浜の砂の流出が止まらないため、かなり前からオーストラリア産の7万立米以上の砂が投入されて砂浜が維持されているのが実情である。
白良浜のすぐ南に白浜温泉の発祥地である湯崎温泉がある。奈良時代には牟婁の温湯(ゆ)、紀温湯、武漏温泉などと呼ばれた。658年、この地に湯治中の斉明天皇中大兄皇子のもとに、謀反の疑いにより捕らえられ、護送されてきた有間皇子が、中大兄皇子により厳しい裁きを受けた地としても有名である。天皇の行宮跡は、崎の湯背後の御殿跡と呼ばれ、御幸芝の碑が立っている。

白良浜の北西約2kmの臨海浦に浮かぶ高嶋は、円月島の通称で名高く、国の名勝に指定されている。春分秋分の時期には、中心部の穴を通して夕陽が見えるなど、夕景の名所としても知られる。眼鏡岩と呼ばれることもある。

島の大きさは南北130m、東西35m、高さ25m。島の中央に海蝕による直径約9mの円月形の穴が空いていることが通称の由来となった。1887年頃に来遊した津田正臣が詠んだ五景詩のうちの「円月島」に始まり、1889年発行の「紀州西牟婁瀬戸鉛山温泉図」には、絵画や漢詩とともに円月島の名が登場する。さらに1908年の「紀州田辺湯崎温泉案内」により、円月島の名は広く知られるようになったといわれる。

円月島の近くには京都大学水族館や南方熊楠記念館がある。南方熊楠は、和歌山城下で生まれ、アメリカやイギリスなどで遊学して帰国した後、和歌山県の田辺に定住し、生涯在野で過ごした。博物学者、生物学者民俗学者としても知られ、とりわけ粘菌の研究で有名であり、新種70種を発見している。『十二支考』、『南方随筆』や全集が刊行されている。

円月島を眺める海岸で、動物の顔に見える奇妙な岩を見つけた。カエル岩と呼ばれるそうだが、小さな鯨がニコッと笑っているように見えた。