半坪ビオトープの日記

西都原古墳群


日向国の中央にあって、九州最大規模を誇る西都原古墳群は、国の特別史跡にしてされているが、昭和41年(1966)、その中心部は全国に先駆けて史跡公園「風土記の丘」第1号に指定された。そこに平成16年(2004)、県立西都原考古博物館が開館した。古墳時代の解説・紹介をする展示室や大型スクリーンなどに加え、国内随一の質と量を誇る古人骨と鉄製品の収蔵展示室や、展望ラウンジもある。

展示物は撮影可能だったが、同年代の人懐っこいガイドスタッフが付きっ切りで1時間も丁寧な解説を続けてくれたので、撮り損ねてしまった。一枚だけパンフの切り抜きを載せる。この子持家形埴輪は、船形埴輪とともに西都原170号墳から出土した埴輪の複製品である。実際にこのような複雑な家が造られたかは疑問だが、例として家の構造を見て取れるのは面白い。実物は東京国立博物館に所蔵され、国の重文に指定されている。

西都原古墳群は、南北約4.2km、東西約2.6kmの標高約60~70mの台地上に位置する。古墳群は、前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基の計311基から構成される全国有数の大古墳群である。3世紀末頃〜7世紀前半頃に築造されたと推定され、他にも横穴墓や南九州に特有な墓制の地下式横穴墓もある。古墳群のほぼ最北部に位置する西都原考古博物館の展望テラスから古墳群の一部を眺め渡すことができる。北側に位置する第3古墳群では、東北東方向にある前方後円墳の265号墳(船塚古墳、全長58m)から、この3月に祭壇跡と5世紀後半に作られたとみられる土器が見つかったばかりである。

その右手、東には地下式横穴墓をもつ111号墳があるはずだが、どれだか特定できない。

博物館正面の歩道の先には第二古墳群があり、さらにその右奥には新富町の新田原古墳群(200基以上、国史跡)がある。

博物館の南南東、台地の中央部には森に隠れて確認し難いが、陵墓参考地の男狭穂塚古墳(墳長約176m)、女狭穂塚古墳(墳長約176m)が位置している。4世紀末〜5世紀初頭頃に築造されたと考えられていて、西都原古墳群では群を抜いた大きさを誇っている。男狭穂塚古墳は日本最大の帆立貝形古墳であり、女狭穂塚古墳は九州では珍しいくびれ部に造出(つくりだし)を持つ九州最大の畿内前方後円墳である。

展望テラスからではおよその位置しかわからないので、直に古墳を見ることにしたが、道端にたくさんある小さな円墳が何号墳かはなかなかわからない。

この111号墳(径24m)は、円墳の下に「4号地下式横穴墓」という特異な墓を有しており、内部を遠隔カメラで見学できる。

この古墳は109号墳と思われるが、残念ながら特定できなかった。

彼方に見えるのは91号墳と思われる。全長63m、後円部径35m・高さ4.5m、前方部幅26m・高さ2.7m、柄鏡式の前方後円墳で、4世紀前半の築造と考えられている。

この206号墳は、鬼の窟古墳と呼ばれ、西都原古墳群内で唯一、埋葬施設に横穴式石室を採用している。鬼が一夜で造り上げたとする伝説が残る。直径36.4m、高さ7mの円墳で、墳丘の周囲に外堤と二重の堀を巡らす珍しい形式で、中国と朝鮮半島ではよく見られるが、国内では石舞台古墳が類似するのみで、関係が注目されている。6世紀末〜7世紀初めに築造されたもので、最後の首長の墓とされている。