半坪ビオトープの日記

吉見百穴


埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴は、古墳時代後期(6世紀−7世紀)の横穴墓群の遺跡である。古墳時代後期には日本各地で豪族達が古墳群を形成するようになったが、その頃、複数の死者を追葬できる横穴式石室構造が大陸から伝来した。吉見百穴の横穴墓群に葬られた人も当時の豪族や渡来人だったと考えられている。

国指定史跡なので見学料300円が必要で、入るとすぐに正岡子規の句碑がある。子規がこの地を訪れたときの句である。
神の代は かくやありけん 冬籠  子規

吉見百穴(よしみひゃくあな)には、凝灰岩の岩山の斜面に200個ほどの穴が空いていて、この種の遺跡としては日本一の規模を誇る。近くには、黒岩横穴墓群、天神山横穴墓群、比丘尼山横穴墓群、尾根横穴墓群、十郎横穴墓群などが知られている。

下方にある穴の中には、ヒカリゴケが自生している穴があり、関東平野では非常に貴重とされて天然記念物に指定されている。

第二次世界大戦中、この岩山の地下に軍需工場を建設するため、その出入り口として岩山の最下部に大きなトンネルが3本掘られた。軍需工場は百穴下を含め4ヶ所あり、総距離にして約1300mを掘る突貫工事には、全国から集められた3000人以上の朝鮮人労働者が昼夜を通して働かされたが、本格的な生産活動に移る前に終戦になったという。現在公開されているのはほんの一部であり、危険箇所には柵が設置されていた。

軍用トンネルの内壁はほぼ素堀りのままであり、特異な景観がヒーローものの撮影場所としても利用されてきたという。

穴の入口は直径1mほどで中はもう少し広くなっている。岩山の表面から数mの小穴を多数掘って造られた集合墳墓である。百穴の中程の道を上がっていくと、秩父の山が見える頂上があるそうだ。