半坪ビオトープの日記

岩室観音


吉見百穴の入口手前に岩室観音堂がある。弘仁年間(810~24)弘法大師が岩窟を選んで高さ1尺1寸の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。
松山城主が代々信仰し護持していたと伝えられており、松山城北側の斜面に建てられていたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が関東に出陣した際に、松山城の落城に伴い建物全てが焼失したといわれる。

現在のお堂は寛文年間(1661~73)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。

江戸時代では珍しい木造二階建ての懸造りで、1階の両脇には岩をうがってできた洞窟に小さな石仏がいくつも安置されている。岩室観音は、享保8年(1723)に開設されたという、比企西国三十三所観音札所の第3番である。

右手の奥の洞窟には、88体の石仏が収まっているが、これは四国八十八箇所の霊地にたてられた本尊を模したものである。弘法大師が修行した四国八十八箇所を巡拝することを「遍路」と呼び、観音霊場を巡る「札所巡り」とは区別される。ここを拝めば四国八十八箇所を巡拝したのと同じ功徳があるといわれている。

2階は入母屋造瓦葺きで勾欄付廻縁がある。観音様を祀った一面のほかは吹き抜けになっていて見晴らしがよい。

お堂の裏手には苔むした断崖があり、両側にイワタバコ属のイワタバコ(Conandron ramondioides)が群生していた。本州以南の山地の湿った岩壁に生える多年草で、タバコの葉に似た大きな葉を1〜2枚付け、7〜8月に紅紫色の花を咲かせる。

この崖の間の道を上っていくと、北武蔵屈指の堅城といわれた松山城跡に行き着く。
これで昨年11月中旬に行った埼玉県西北部の史跡巡りを終えた。