半坪ビオトープの日記


飯坂町鎮守八幡神社は創建が古く、祭神は誉田別命息長足姫命玉依姫命である。社伝によれば、天喜4年(1056)後三年の役で奥州に出陣した源義家が、この地で長くたなびく八条の雲を見て必勝祈願のため八幡神社を勧請したという。

その後の養和年間(1181)に、大鳥城主佐藤基治豊前国宇佐八幡宮を奉遷して社殿を建立し、武神八幡大神を祀り武運を祈願した。宝永7年(1710)に城内から現在地に再建された社殿が今に残る。この神社の祭礼はけんか祭りといい、大阪・岸和田の地車祭り、秋田・角館の飾山ばやしとともに日本三大けんか祭りの異名を取る。

境内社として村崎神社がある。祭神として、大己貴命少彦名命瀬織津姫命を祀るこの村崎神社が、この飯坂では最も古い神社といわれる。瀬織津姫とは、大祓詞に登場する神で、祓神や水神とされる。

境内社殿の裏側に鯖湖の碑がある。もとは下の鯖湖神社にあったが、明治の飯坂大火以後、八幡神社に移されている。
寛政12年(1800)白河藩松平定信(楽翁)は、鯖湖のことを古歌「さはこのみゆ」に書き残した。文化13年(1816)に石に刻まれ、この歌碑が建立された。
「あかずして別れし人のすむ里は佐波子の見ゆる山のあなたか」
この歌は、約二千年前、景行天皇皇子・倭建命が蝦夷征伐のためこの地に来たとき、佐波子の湯で湯治された際のものとか、西行の作とも、天王寺を開山した法燈国師の作ともいわれ、定かではなく、拾遺和歌集に詠み人知らずで載せられている。

鯖湖湯の隣にある鯖湖神社には、飯坂温泉発祥の地の碑や、正岡子規らが詠んだ句碑が立っている。

鯖湖湯は、元禄2年(1689)奥の細道の途中、芭蕉曽良もつかったという名湯である。
鯖湖神社の左には、身体の癒したい所に温泉をかけると良くなるというお湯掛け薬師如来も祀られている。

鯖湖湯は、明治を偲ぶ共同浴場(明治22年)として、道後温泉坊ちゃんの湯(明治27年)より古く、日本最古の木造建築共同浴場として長い間飯坂温泉のシンボルであり続けた。ヒバ、ケヤキ、ヒノキを用い、平成5年に改築された。