半坪ビオトープの日記


中野不動尊は、800年以上前に恵明道人が不動明王を祀ったのが始まりという。大阪富田林の瀧谷不動尊、成田不動とともに、日本三大不動尊の一つというが、数え方には異説が多い。
境内には厄除・眼守・三ヶ月の三不動明王が祀られ、日本に置ける六三除けの祈祷発祥の地といわれる。
福島稲荷神社と並ぶ有数の寺社となり、初詣参拝者数は県内トップクラスである。
祈祷殿には眼守不動明王が祀られている。総ケヤキ造りの建物は平成12年に再建されたものである。右の先に見える朱色の建物は大日堂である。

奥の院にある数カ所の洞窟は、昔、修験者たちの道場として穿たれたもので、現在は一本につながり巡れるようになっている。
最東端の入口が寂光門で、唐風重層の門である。

寂光門の前から大日堂と不動滝が眺められる。

二層の大日堂の上層の堂内本尊は大日如来で20年毎に開帳される。脇立に不動明王愛染明王が並ぶ。

大きな釜はあんど釜という。鎌倉時代の弘安6年(1283)頃この地方に疫病が流行し凄惨を窮めた。住持道慶がお告げの通りの薬草を大釜で煎じて病人に飲ませ治したという。この釜はその故事に習い、後世に鋳造されたものである。

寺号は中野山大正寺という。明治36年に永平寺64世の森田禅師が、不動尊境内に今の本堂を建立し、それまでの修験道曹洞宗に改宗したという。