半坪ビオトープの日記


飯坂温泉街にある旧堀切邸は、江戸時代から続く豪農・豪商の旧家で、福島市が観光スポットとして整備し、近年、無料開放された。

堀切家は、天正6年(1578)に梅山太郎左衛門が若狭から移り住んだのが始まりという。現在の主屋は、明治14年再建の近代和風建築である。

飯坂町を流れる赤川の氾濫を、堀を切って被害を食い止めたことから堀切と称したという堀切家は、日本の近代政治史にその名を残す善兵衛(衆院議長・駐イタリア大使)、関東大震災後の東京復興に尽力した善次郎(東京市長・内務大臣)、福島経済界に大きな役割を果たした久五郎(衆議院議員)を輩出した。ここは中の間である。

現在の屋敷面積は約4000㎡だが、火災にあった明治13年以前にはその2倍以上あったといわれる。ここは奥座敷である。母屋の裏にも新蔵、中の蔵、道具蔵などの建物がつながっている。

敷地内には、安永4年(1775)築造の米蔵、通称、十間蔵がある。二重屋根式の大型土蔵で、米収納のほか酒造に一部使用されたこともある。

県内最古の蔵で内部もがっしりとしている。昔を懐かしむ写真展が行われていた。ちょうど開催期間中の「飯坂けんか祭り」のポスターもあった。

旧堀切邸の向かいに常泉寺がある。慶長元年(1595)福島長楽寺の僧、立質金祝の創立と伝えられ、境内に滝の湯があったので、山号寺号は巌湯山常泉寺という。門前左には本因坊秀伯の碑が建っている。本因坊七世秀伯はここ飯坂村出身で、11歳で江戸に上がり、将軍吉宗のとき、18歳で本因坊家を継ぎ、26歳で病没した。後世、秀伯の「秀」の字が本因坊戦タイトル者の名に受け継がれている。