半坪ビオトープの日記


飯坂温泉の北西、摺上川岸にある穴原温泉(天王寺温泉)に近い、臨済宗香積山天王寺は、日本四天王寺の一つといわれる古刹で、第31代用明天皇の開基と伝えられる。用命2年(587)厩戸皇子聖徳太子)が物部守屋を討った後、仏の道を修める道場の一つとして建立された。

当初は天皇天王寺と呼ばれ、毘沙門天・千手観音・地蔵菩薩を安置したのに始まるという。文治5年(1190)源頼朝の平泉攻めで大鳥城が落城の時、兵火により焼失した後、盛衰を繰り返した。

天正3年(1576)に飯坂宗康と春翁正堂和尚が中興し、堂宇などを再建した。現在の堂宇は、元禄年間(1688~1703)に火事で焼失した後の宝永7年(1710)に再建されたものである。寺宝には、什物や承安元年(1171)の銘がある経筒(重文)、三筋壺などがあるが、残念ながら参観中止となっていた。

広い境内には本堂、書院、観音堂、鐘楼のほかにも様々な地蔵尊がある。子育地蔵尊の脇に観音堂に上がる階段がある。

一段高い所にあり三済閣とも称される観音堂は、天正年間(1573~)に伊達政宗の父、伊達照宗により寄進されたと伝えられる。本尊は、鎌倉時代の高僧恵心僧都作という聖観世音菩薩で、通称、香積観音とも呼ばれる。
ほかにも聖徳太子作と伝わる等身大の毘沙門天王像も安置されている。日本四天王の一つで北方多聞天とも呼ばれる。
観音堂の右手にある三つの板碑は、嘉元2年から嘉暦4年(1304~29)の鎌倉時代末の墓碑である。

駐車場の脇には見るからに新しい、ぼけ除け延寿観音が座していて、商売繁盛に精出している様子がうかがえる。