半坪ビオトープの日記


杉並木の参道の突き当たりに薬師堂がある。薬師如来を祀り、鯖野の薬師と呼ばれ親しまれている。薬師如来は別名を大医王仏とも呼ばれ、医王寺の名の由来ともなっている。

薬師堂の左奥、大きな奉讃碑の左に乙和の椿と呼ばれる古木がある。義経の忠臣佐藤継信・忠信兄弟の母、乙和御前の悲しみが乗り移ったのか、つぼみのままで開かずに落ちてしまう椿があり、いつしか人はこの椿を乙和の椿と呼ぶようになったという。息子二人を失った老婆乙和御前の悲しみを慰めようと、継信の妻「若桜」と忠信の妻「楓」は兄弟の武将の装いで激励したという話に芭蕉も感動したという。

奉讃碑の右奥、ちょうど薬師堂の背後に、柵に囲まれた石塔供養碑群がある。凝灰岩の奥州型板碑を主に大小60基ほど立ち並ぶ。その中央に佐藤基治・乙和夫妻の墓碑がある。

そっくり同じような継信・忠信の墓碑が薬師堂の右奥にある。

継信・忠信の墓碑の右には、歴代住職の墓が並んでいる。

乙和の椿の左にも、供養塔などの苔むした石塔がいくつも並んでいる。

入口近くに宝物館として瑠璃光殿があり、芭蕉像、義経の直垂、木地鞍、恨みの矢の根、弁慶の笈などが展示されている。