半坪ビオトープの日記


阿武隈川の崖に向かって赤い虚空蔵堂が立っている。寺蹟「虚空蔵堂記」によると弘仁2年(811)の創建というが、これは元禄16年に死んだ元道和尚の書き残したものを更に「山の記録」としたものによるので、不確かとされる。下って上杉景勝の時代、西根堰の開削に功績をあげた丑年生まれの郡代古河善兵衛が寛永12年(1635)に堂宇を建て直し寄進したものと伝えられている。
堂の四方がどれも三間になっていて、屋根は方形造りになっている。

堂の中の厨子の中に安置されている虚空蔵菩薩は、丑寅を守護する守り本尊として親しまれ、また男女十三歳にして参詣すれば福徳知恵を授かる十三詣りの対象として広く信仰されている。

牛は天神の神使となっている。撫で丑と撫で寅がある。なで丑とは、天満宮の天神菅原道真が「丑寅」の生まれであることに因み、自分の患っている所と御神牛の同じ所をなでると良くなると信じ、特に頭を撫でると知恵を授かると信じる俗信であり、江戸時代に盛んになったまじないである。亀戸天神北野天満宮が有名である。

大切なお金を「虎の子」ということから転じて、寅の口に賽銭を入れると金運がよくなるともいう。

寺の裏手の山地は清浄嶺と称し、ここに配されている十六羅漢像は文政3年(1820)造立で表情豊かである。
左が跋陀羅(ばだら)尊者で、虎を従えている。右は迦諾迦伐嗟(かなかばっさ)尊者という。

こちらは賓度羅跋羅惰闍(ひんどらばつらだじゃ)尊者、いわゆる賓頭盧(びんずる)尊者で、よくなで仏になっている十六羅漢の筆頭「おびんずる様」である。

虚空蔵堂の境内から階段を上ると明王殿があり、不動明王を祀っている。
満願寺は、寺宝として山岡鉄舟の書や、狩野常信の三十六歌仙図などを所蔵している。