半坪ビオトープの日記

大山寺


予定より早く下山したので、ケーブルカー途中駅にある大山寺に立ち寄ることにする。

大山寺駅にも真っ赤なモミジがあって、ハイキングが紅葉狩りになったと思われた。

すぐ近くの大山寺の参道は、真っ赤なモミジに彩られたトンネルの中にある。大山寺のライトアップも11月24日には終わってしまっているが、ピークは過ぎつつあるとはいえまだモミジは深紅に燃えていて、紅葉祭りは12月8日まで続いているという。

寺伝によると雨降山大山寺は、奈良東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝7年(755)に父母の孝養のために開山したのが始まりといわれ、聖武天皇勅願寺とされた。行基の弟子・光増和尚が2世として大山全山を開き、山の中腹に諸堂を設けた。徳一菩薩に招かれた3世・弘法大師が住職を務め、大山七不思議といわれる霊地信仰を確立した。五十音の創始者と伝わる5世・安然和尚が元慶8年(884)伽藍を再興、華厳・真言・天台の三宗兼学の道場とした。その後盛衰もあったが、寛永16年(1640)徳川家光による大修理の後、大山詣りが定着し全盛時代を迎える。しかし、明治になり国学者・権田直助に率いられた暴徒による神仏分離および廃仏毀釈で、現在下社の場所にあった本堂伽藍及び関連僧坊諸院がことごとく破壊された。その後、明治18年に日本各地の信者からの浄財の寄進により現在地に本堂が再建され、再興が始まった。

大山寺の本尊は、像高97.9cm、総高287cmの不動明王像で、脇侍の矜迦羅童子制吒迦童子とともに鉄製である。文永11年(1264)鎌倉大楽寺の願行上人により鋳造され、国の重文に指定されている。本堂奥の奉安殿に安置され、毎月8の日が開帳日となっている。左の護摩壇には、平安時代後期作の木造不動明王坐像が安置されている。

本堂の左奥には稲荷大明神が祀られている。

さらに左には倶利伽羅の滝がある。滝の右手には倶利伽羅剣に巻き付いた龍があり、倶利伽羅龍と呼ばれる。
本堂の左手前には、鐘楼堂と大きな宝篋印塔が建っている。この宝篋印塔は、大山11坊の内の広徳院憲海を勧進元として寛政7年に旧大山寺境内に寄進建立されたもので、同じ境内の倶利伽羅龍王堂とともに江戸時代から存続する建造物である。

大山寺参道石段のモミジは、急坂なトンネルとなっているため、下から眺め上げたり、上から眺め下ろしたりして、とりわけ身近に味わうことができる。石段両脇には、僧守護童子、虚空蔵童子などとそれぞれ名前が書かれた童子が並んでいる。

石垣の周りにも真っ赤に色づいたモミジが鮮やかに葉を広げている。

曇っていて残念だが、青空だったら見上げるとさぞや輝かしいだろうと思う。