半坪ビオトープの日記

永平寺、山門


庫院を見終わると、浴室の前で曲がって山門に入る。寛延2年(1749)に永平寺42世円月江寂禅師により再建された、永平寺伽藍の最古の建物である。間口9間、奥行5間の二重層からなる唐風の楼閣門で、下層には四天王を祀り、上層には五百羅漢を安置する。東側には、東方の守護神・持国天と北方の守護神・多聞天が祀られている。

西側には、西方の守護神・広目天と南方の守護神・増長天が祀られ、外部から侵入する悪魔に睨みを利かせている。

山門から東側の外を振り返ると、先ほどやり過ごした浴室が見えた。間口7間半、奥行5間の建物で、昭和55 年に大改修された。浴室は三黙道場の一つで、水印三昧によって悟ったといわれる跋陀婆羅菩薩を祀っている。禅宗では清規によって、月の内、4と9の付く日(四九日)が公に開浴することになっている。
浴室の右手の階段を上ったところに経蔵(輪蔵)がある。間口4間、奥行4間半の建物で、嘉永4年(1851)に再建されている。

山門前の南西側に鐘楼堂が見える。昭和38年に改築された鎌倉様式の重厚な建物で、総檜造りの中に吊るされた梵鐘は、口径1.5m、高さ3m、重さ5トンの巨鐘である。早暁の暁鐘・昼の齋鐘・夕方の昏鐘・夜坐が終わってからの定鐘と1日4回、修行僧により撞かれる。

山門から東司前を通り、祠堂殿に入る。入口近くには閻魔大王が睨みを利かせている。

祠堂殿は、間口6間、奥行8間の層檜造りで、昭和5年に新築された。堂内には全国各地から集められた位牌が安置され、追善供養等の法要も行われる。奥には文久3年(1863)に改築された舎利殿があり、地蔵菩薩像が祀られている。

祠堂殿の西、傘松閣の南に、報恩塔(納経塔)がある。宮崎奕保禅師の発願により平成8年に建立された、六角、一重裳階付の塔であり、全国信徒の写経を納める納経箱が収納されている。

伽藍を一周してようやく出発点の吉祥閣に戻った。昭和46年に完成した吉祥閣は、地下1階、地上4階の鉄筋コンクリート造で、建坪は約920坪ある。永平寺檀信徒や参禅者用の研修道場である2階の大講堂では、永平寺を紹介するビデオが鑑賞されている。

最後に一番南西(左)にある瑠璃聖宝閣を見学する。永平寺が収蔵する数多くの宝物を展示する建物で、昭和43年に建立され、昭和61年に改築された。

ここには永平寺唯一の国宝、「普勧坐禅儀一巻」が展示されている。道元禅師が中国(宋)より帰朝後、嘉禄3年(1227)28歳の時に撰述したもので、6年後の天福元年(1233)推敲し浄書したものである。わずか756文字の単文からなり、四六駢儷体(べんれいたい)という形式で、坐禅の儀則を説いたものである。
この天福本は中国の黄紙(こうし)に楷書で書かれた、曹洞宗開宗の第一声であり、普勧坐禅儀撰述記一巻が付されている。残念ながら撮影不可なので、パンフの切り抜きを載せる。