半坪ビオトープの日記


霊廟左列手前には、家光の側室で五代将軍綱吉の生母桂昌院ほか、歴代将軍の夫人や子女の多数が埋葬されている合祀塔がある。
宝塔は六代家宣の側室・月光院輝子のものである。

徳川将軍家霊廟の入口の前に、四菩薩像がある。右から普賢菩薩地蔵菩薩虚空蔵菩薩文殊菩薩と並んでいる。
もとはこの場所の北西、地蔵山に安置されていて、西向きの観音像に対し東向きであったという。正嘉2年(1258)の作と伝えられる古像である。

霊廟の左には大納骨堂、圓光大師堂などもあり、大殿の左隣には光摂殿、増上寺会館などが続くが、見所ともいえないので素通りして三解脱門に戻る。三解脱門の左には黒門がある。黒漆塗りの四脚門で、蟇股には唐獅子や牡丹が浮彫りされていて、桃山建築の豪華さがうかがえる。
三代将軍家光の寄進・建立とされ、慶安年間(1648~52)の建立とされる旧方丈門であり、昭和55年にここに移築された。

三解脱門の右、増上寺境内の右隅に熊野神社がある。元和10年(1624)増上寺の正誉廓山上人が熊野権現増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものである。
「熊野」は、「くまの」・「ゆや」と二通りの呼称があるが、増上寺では「ゆや」権現として、庶民に親しまれている。

熊野三所大権現宮の由来記には、祭神が熊野本宮大社の家津御子大神(けつみこのおおかみ)、熊野那智大社大己貴命(おおなむちのみこと)、熊野速玉神社の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と記されている。