半坪ビオトープの日記


増上寺の最初の鐘楼堂は寛永10年(1633)に建立されたが、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものである。
東日本最大級、江戸三大名鐘の一つという梵鐘は、延宝元年(1673)の鋳造で、高さ一丈(約3m)、重さ四千貫(約15t)もある。

四代将軍・家綱の命により、奥方のかんざしなど多くの寄付を集めて江戸で初めて造られた鐘である。
朝夕二回の鐘の音は江戸庶民に親しまれ、川柳に「今鳴るは芝か上野か浅草か」「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」などと詠われたという。

大殿の右に建つ安国殿には、恵心僧都の作と伝わる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られている。黒本尊は、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たと家康が深く尊崇したものであり、勝運・厄除けの仏様として庶民の信仰を集めている。都指定の重文である。

安国殿の右手前にある西向観音は、増上寺がこの地に移転する前からこの地にあった観音様であり、江戸33観音礼所の21番霊場である。

鎌倉時代に時の執権北条時頼が諸国視察の折、この地が霊所でかつ風雅な憩いの場であることに着目して、街道に向けて観音石像を安置したものという。