半坪ビオトープの日記

法性寺、舟形観音


小鹿野町の南東の山間部に、札所32番曹洞宗の般若山法性寺がある。般若山の扁額を掲げた山門は、宝永7年(1710)建立の3間×2間半の八脚門である。

欅材を主にした白木造りの二階建ての秩父札所唯一の鐘楼門で、二階には立派な梵鐘が吊るされている。

仁王像は、正徳2年(1712)江戸の仏師、石見により作られた。

現在の仁王像は、平成23年に300年ぶりに修復されたものである。

山門をくぐるとすぐ右側に、六地蔵が一つの石にまとまって彫り込まれていた。

石段を上って本堂に向うとすぐ右側に、大きな石灯籠がある。徳川家の菩提寺である芝の増上寺にあったものである。

手入れの行き届いた参道を上ると、右手に本堂が建っている。本堂と庫裡が一つに繋がった間口13間半の大きな建物である。はるか彼方の山の上に、奥の院が見える。船の形をした永さ200m、高さ80mの巨岩からなり、俗に「般若のお船」と呼ばれる。

船の軸先にあたる所に、聖観世音菩薩像が祀られている。いわゆる「お船観音」で、険阻な山道を登り詰めた奥の院まで登拝できない人は、この本堂前から遥拝する。

般若山法性寺は、奈良時代行基の開創と伝えられ、一刀三礼して本尊聖観世音菩薩を刻したと伝えられている。また、弘法大師大般若経六百巻を一晩のうちに書き上げたと伝えられることから、当地が「般若」といわれるようになったという。文献上は、貞永元年(1232)眼応玄察和尚が曽祖開山であり、当時は密教系と推察されている。その後江戸時代に、曹洞開山智外宗察がほぼ現在の形に伽藍を整えた。

本堂には、本尊の薬師如来が祀られている。また、お前立観音も特別開帳されていた。通称「お船観音」と呼ばれ、宝冠の上に笠をかぶり、船を漕いでいる珍しい姿である。東京の浅草寺本殿裏に、このお前立観音を模した観音像が祀られている。

堂内右上に、奉納絵馬が掲げられている。在りし日の法性寺の参拝情景が描かれている。たくさんの参拝者が奥の院まで登拝している様子を窺うことができる。