信夫山の東端の中腹に岩谷観音がある。創建年代は明らかではないが、平安時代末期、周辺の信夫郡一体を支配した佐藤庄司基治の叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館を構えていた。その子孫である尾形四郎憲春(宥海法印)が、応永23年(1416)…
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