半坪ビオトープの日記


信夫山の東端の中腹に岩谷観音がある。創建年代は明らかではないが、平安時代末期、周辺の信夫郡一体を支配した佐藤庄司基治の叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館を構えていた。その子孫である尾形四郎憲春(宥海法印)が、応永23年(1416)先祖伝来の観音像を本尊として観音堂を建立したのに始まると伝えられている。聖観音のほか経文600巻が納堂されているそうだ。

岩谷観音の左の崖にたくさんの磨崖仏が彫られている。江戸時代に西国三十三所観音を初めとして、庚申・弁財天・釜神など60体に及ぶ供養仏が彫られた。

宝永2年(1705)の聖観音像、同7年(1710)の巳持供養弁財像が年代のわかる古いものである。

東北地方の磨崖仏の伝統を受け継ぐ厚肉彫りで、特に33番谷汲山華厳寺の十一面観音が傑作である。

磨崖仏としては福島市唯一のもので、福島市指定史跡及び名勝に指定されている。

さらに左に進むと鐘楼があり、その右手の崖にも磨崖仏が彫られている。鐘楼からは福島市街地が見渡せる。