半坪ビオトープの日記

恐山、山門


八戸から一路、下北半島を北上して恐山まで直行した。恐山は、下北半島中央部に位置する外輪山に囲まれた霊場で、比叡山高野山と並ぶ三大霊場の一つである。下北半島の根本にあるむつ市街から恐山街道で山道を上っていくと、途中に湧き水「恐山の冷水」があり、峠を越えると宇曽利湖に注ぐ三途の川に架かる太鼓橋の脇を通って、霊場の総門前に至る。

総門の向かいには恐山の外輪山がいくつも見える。もともと恐山とは、カルデラ湖である宇曽利湖を中心とした外輪山の総称であり、古くは宇曽利山「うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、恐山(おそれやま、おそれざん)と呼ばれるようになったという。このウソリは、アイヌ語のウショロ(入江あるいは湾という意)に由来するという説もある。恐山という単独の山はなく、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰からなる。正面の山並みの合間に、遠くの山頂に白い塔が見える山が釜臥山で、標高878mの最高峰である。左手に見える山が屏風山であり、釜臥山の右手に見える山は788m峰といい、その右が北国山と思われる。恐山は水蒸気や火山性のガスの噴出が盛んで、噴火記録はないが活火山と指定されている。

総門の左には来迎の像が立ち、左手正面には六大地蔵が座っている。来迎の像は、浄土から死者の魂を迎えにやってきた阿弥陀如来像という。

総門をくぐって境内に入ると正面には山門が建ち、左手には無漏館と本堂が並んでいる。無漏(むろ)とは、煩悩がない境地のことで、無漏館は普段、休憩所に使われている。7月と10月の大祭期間中に特設される境内のテントで、死者を呼び寄せて「口寄せ(ホトケオロシ)」をしてくれるイタコに会えることになっているが、予約もできずかなりの行列になるという。

山門前の参道沿いには永代常夜燈が48基立ち並んでいる。左手の時代を感じさせる古びた常夜燈は柵で保護されている。

平成元年に新築された堂々たる山門は、5間3戸入母屋造本瓦葺で、左右には金剛力士像が安置されている。

山門の扁額には「霊場恐山」と書かれ、二重楼門の上層部には五百羅漢像が安置されている。

山門の左手には本堂が建っている。木造平屋建、切妻造平入金属板葺、正面に1間唐破風向拝付、外壁は下見板張り、欄間部は白漆喰で仕上げられている。

向拝木鼻には象と獅子、欄間には中国故事、兎の毛通し(懸魚)には鳳凰の彫刻が施されているものの、全体的には簡素な意匠で、内部には釈迦如来像が安置されている。

本堂の右手奥に塔婆堂が建っている。

塔婆堂は卒塔婆を納めるお堂なので、堂内にはたくさん卒塔婆が並んでいる。

塔婆堂の右手には、3m近くもある大きな卒塔婆が何本も建ち並んでいて異様な光景を見せる。現代普通の簡素な板卒塔婆ではなく、角材の卒塔婆に傘も付いていて、こちらの方が古い様式だそうだが、一本百万円以上必要という。