昨秋、京都の前に、富山県西部を旅した。まず富山駅から西に向かい、庄川と小矢部川を渡って高岡市の勝興寺を訪れた。平成の大修理を終え、12 月に本堂等2棟が国宝に指定されたが、富山県では瑞龍寺に次ぐ2例目である。駐車場から入り口の総門に向かうと、総門の後ろに鼓堂が見えた。城郭を思わせる望楼形式の鼓堂は、享保18年(1733)
勝興寺建造物群の中でも特別な存在感があるのが唐門である。元は明和6年(1769)に京都の興正寺で建立され、明治26年(1893)に移築された。大規模な四脚門で、切妻造、前後唐破風造。屋根は檜皮葺に復元された。
彫刻や金具などの装飾が随所に施されている、このような華やかな唐門は、本来は天皇の使者である勅使だけが通る勅使門として使われるが、移築された際、本堂に向かう位置に置かれたため誰でも通ることができる勅使門になっている。国の重要文化財に指定されている。
雲龍山勝興寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、文明3年(1471)に本願寺八世蓮如が越中国砺波郡に営んだ土山坊を起源とする。越中一向一揆勢の旗頭として威勢を誇ったが、天正9年(1581)に織田方の地元武士により堂宇を焼失され、同12年(1584)現在地に再興した。慶長2年(1597)以降は越中国の触頭の地位にあり、江戸時代を通して加賀前田家と密接に関係しながら広壮な伽藍を築き上げた。境内は、奈良時代には越中国庁跡(推定地)で、万葉集を編纂した大伴家持が国主として5年間在任し、多くの和歌が残されている。本堂と大広間及び式台の2棟の国宝のほか、経堂、御霊屋、宝蔵、鼓堂などの諸堂、書院及び奥書院、台所、御内仏、総門、唐門、式台門が国の重要文化財に指定されている。寛政7年(1795)建立の本堂は、桁行39.3m、梁間37.4m、高さ23.5m、入母屋造、向拝三間、亜鉛合金板葺。大型の仏堂で、国宝・重文の建造物の中で、本堂では全国9番目の規模を誇る。
本堂は、平成10年から17年にかけ、半解体修理が行われた。一番人目につく向拝柱正面に大きな木目の傷をあえて見せ、龍に見立てるなど、肝の据わった遊び心を持つ熟練棟梁の作である。虹梁に施された彫刻や蟇股の彫刻も精緻である。
本堂は屈指の規模を誇るように、三手先などの組物の構成も他に例を見ないほど複雑に考え抜かれている。
本堂内陣は、西本願寺以上のきらびやかさで、金の欄間などの装飾が施され、格子天井には色鮮やかな菊紋様が描かれている。
本堂北側の破風の妻飾りの彫刻は、複雑精緻で中々見極めがたい。よく見ると、中央が唐獅子で、その左右に牡丹の花が2・3個ずつ咲いているのがわかる。三花蕪懸魚とその脇の鰭も含め、装飾の意匠が力強い。
本堂から見て右前(南東)に文化2年(1805)建立の経堂が建っている。内部には極彩色の輪蔵を備えている。
本堂から見て左前(北東)には、慶応2年(1866)建立の宝蔵が建っている。乱石積みの基壇の上に布石を回した上に建つ。下部の海鼠壁の腰壁の他は漆喰塗とし、建物上部は入母屋造りの置屋根とするなど、土蔵造の宝蔵は珍しい。