半坪ビオトープの日記

瑞泉寺、太子堂、式台門

瑞泉寺太子堂
本堂の左側に並び建つ太子堂は、大正7年(1918)に井波棟梁・松井角平恒信を中心に再建された。一重裳階付入母屋造、本瓦葺、平入、桁行16間、梁間16間、正面3間軒唐破風向拝付。外壁は真壁造り板張り、内陣中央には後小松天皇から賜った聖徳太子2歳像を、両脇壇には開基綽如上人御影と瑞泉寺前住職御影を安置している。毎年恒例の太子伝会は、聖徳太子の一生を八幅の軸に描かれた絵伝に基づき絵解きされる、全国でも珍しい行事である。

太子堂扉上の蟇股の彫刻
見事な彫刻が随所に見られる瑞泉寺の中でも、一際目を引くのが太子堂の彫刻の数々。井波彫刻の粋を集めた建物として有名である。200本のノミを使い、1本の木から仕上げる井波彫刻の伝統技術が用いられている。見るだけで圧巻の彫り物の細工は繊細で美しく、先人の偉業に驚かされる。正面扉上の二重虹梁の蟇股の彫刻も精緻である。鳳凰と鹿であろう。

向拝の手挟みの彫刻
向拝を支える柱から屋根を支えるようにうちに向かって伸びる手挟みの彫刻も手が込んでいて装飾的である。両端2本は桐に鳳凰、中央2本は波に龍の彫刻が施されている。

井波の彫刻の数々
向拝の木鼻・手挟みなど多くの彫刻には、田村理七など井波の彫刻師たちの技量が光っている。

龍の彫刻
この彫刻は龍であるが、かなり細かい。

後小松天皇
太子堂の左手には宝物殿があり、その左手には後小松天皇廟がある。

宗祖の親鸞聖人像
境内には宗祖の親鸞聖人像も立っている。

式台門
式台門は、門扉に菊の紋章があり、勅使参向の際に出入りに使われるため、勅使門・菊の門とも呼ばれている。宝暦12年(1762)の大火で全焼したが、寛政4年(1792)に柴田清右衛門が再建した。桁行約3.7m、梁間約2.5mの唐破風造りで、昭和5年(1930)に杮葺から銅板葺に改められ、平成17年(2005)に屋根周り他の修復が行われた。左右塗り壁塀。彫刻は北村七左衛門(番匠屋九代目)が彫ったもので、井波彫刻の源流を示す名作の一つとされている。

式台門の彫刻
式台門の蟇股には人の悪夢を食べるという「莫」、虹梁には「松に鶴」が彫られている。

「獅子の子落とし」の彫刻
式台門の両脇板には、番匠屋七左衛門が「獅子の子落とし」の彫刻を施している。我が子を千尋の谷に落として育てるという、中国の獅子の言い伝えを彫ったもの。

「獅子の子落とし」の彫刻
「獅子の子落とし」の彫刻に関する図が残されているが、当初は鯉の滝登りと子落としだったそうだ。