半坪ビオトープの日記

和田町黒岩の熊野神社


千倉町から鴨川市に向い、和田町の市街地から三原川沿いに北上すると、北三原郵便局の真向かいに黒岩の熊野神社がある。道路から坂道の参道を上っていくと大きな鳥居がある。

鳥居の先の境内の奥、一段高くなってところに拝殿が建っている。

拝殿に近づくと、向拝虹梁を中心に数多くの見事な彫刻が施されているのが分かる。鴨川出身の安房名工・初代波の伊八こと、武志伊八郎信由の作品である。

向拝虹梁の彩色のない竜の顔付きは鋭い眼光で睨みを利かせている。向拝天井手前の兎の毛通しは、普通鳳凰が彫られるものだが、波の伊八らしく「波に魚」が彫られている。さらによく見ると、この向拝の構造が極めて豪壮にできているのに驚く。二重虹梁両端の木鼻の上の組物はともかく、その内側にも組物が組まれて繋虹梁が支えられ、さらにその繋虹梁の真中に笈形を両脇に付けた大瓶束が立ち、大きな向拝を支えている。
大瓶束(たいへいづか)は普通、切妻造や入母屋造の妻壁の架構としての虹梁上に屋根の棟木や母屋桁を受ける構法なのだが、向拝に設けられるのは珍しい。

向拝の裏をのぞくと、天井の手挟みはよくある意匠の牡丹であるが、虹梁を支える組物に付く絵様肘木や挙鼻の意匠が興味深い。

拝殿を覗いてみたが、それほど凝っている様子はない。祭神として、伊弉諾尊伊弉冉尊を祀る。創建は不明だが、興国2年(1341)と明和3年(1766)に再建しているという。

ただし、拝殿の妻壁を見上げてみると、なんとここにも向拝の構造と同様に組物がいくつも組まれ、何段もの虹梁の上に繋虹梁も組まれている。さらに蟇股の彫刻の意匠も工夫が凝らされている。

裏に続く本殿は、千木が高く伸びる神明造で、棟持柱が特徴的であるが、見た目の構造は簡素である。

狛犬と拝殿を一枚におさめてみたら、神紋が目についた。唐破風の鬼板の神紋は、右二つ巴と思われるが、屋根の大棟の両端には、見たことがない神紋が付いていた。飛んでいる鳥のような風変わりな神紋である。