半坪ビオトープの日記

万葉歴史館、専念寺、高岡大仏

万葉歴史館
高岡市には大伴家持に因んだ万葉歴史館がある。大伴家持大伴旅人の長男で、養老2年(718)に生まれ、天平10年(738)に内舎人として朝廷に出仕した。天平18年に越中守として越中国に着任し、天平勝宝3年(751)に帰京するまで5年間在任した。

大伴家持坂上大嬢
大伴家持は『万葉集』の編纂に関わり、全歌数4516首のうち473首を閉め、万葉歌人中第一位である。そのうち越中時代5年間の歌数は223首と半数近くを占める。正妻の大伴坂上大嬢は従妹であり、大伴宿奈麻呂坂上郎女の長女で、越中国赴任より前に正妻になったとされる。「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」は、『万葉集』の中で大伴家持が桃の花を読んだ歌として有名な作品(巻19・四一三九)。「越中秀吟」の冒頭句でもある。

陶板画「高耀(たかひか)る藤原京の大殿」

国守の居館は二上山を背にし、射水川に臨む高台にあり、奈呉の海・三島野・岩瀬野を隔てて立山連峰を臨むことができる。家持は越中式折々の風物に触発されて独自の歌風を育み、『万葉集』と王朝和歌との過渡期に位置する歌人として高く評価されてきた。この陶板画「高耀(たかひか)る藤原京の大殿」の原画は、平山郁夫

「白エビ」のから揚げ
昼食は新湊きっときと市場で、刺身御膳と富山湾の名物「白エビ」のから揚げ。カリカリ食感が美味い。

専念寺、山門
次に向かったのは、射水市にある専念寺。山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸の四脚門。

専念寺、本堂
専修山専念寺は、浄土真宗東本願寺派の寺院で、創建は文明16年(1484)。本願寺8蓮如上人の法弟賢祐が法土寺村に時宗の寺院として開いたのが始まりと伝わる。中世は越中守護代神保氏から帰依され寺運が隆盛し、戦国時代に時宗から浄土真宗に改宗し、享保2年(1717)に水害により現在地に移った。本堂は木造平屋建て、入母屋造、桟瓦葺き、桁行7間、正面1間向拝付。

専念寺、銅鐘
専念寺の銅鐘は、元面白寺の梵鐘だったが、面白寺が廃寺になると本寺だった立山寺が引き取り、明治4年(1871)に専念寺が買い取ったもので、文明6年(1474)の銘がある。面白寺開山の時の院主明舜法印が84歳で書いた銘という。銘がある銅鐘としては富山県最古とされ、県の指定有形文化財となっている。

傘松
境内にある傘松は、専念寺を再興した神保慶宗の菩提を弔うため、享保2年(1717)、当地を訪れた旅の層が植えられたと伝えられるもので、樹高3.3m、幹周1.86m、枝張り16m。樹種は黒松と赤松の雑種のアイグロマツで、学術上貴重な存在として、県指定天然記念物に指定されている。

高岡大仏

高岡市の大佛寺にある青銅製阿弥陀如来像は、高岡大仏と呼ばれる。奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏を称する。小杉大仏、庄川大仏とともに越中三代仏の一つでもある。歴史は古く、承久3年(1221)、源義勝により約4.8mの木造大仏が建立された。その後何度も焼失、再建を繰り返し、明治33年(1900)の高岡大火で焼失。定塚町の松木宗左衛門の発願、原型は中野双山、古式鋳造法である焼型重ね吹きの技法で、鋳造から着色まで全て高岡銅器の工人・職人の協力を得て、二十数年の月日をかけて造り上げ、昭和8年(1933)に青銅製の大仏の開眼供養が行われた。特徴的な円光背には、梵字「キリーク」が配されている。全体の高さは、15.85m、坐像の高さは7.43m、総重量65t。

大仏台座の内部
大仏が鎮座する台座の内部は参拝ができ、回廊の壁面には地獄絵などの仏画13作が展示され、最深部には明治33年の大火で類焼した大仏の頭部が安置されている。周囲の掛け仏は、阿弥陀如来に備わる十二の恩徳を表したもので、昭和8年再建寺に光背にかける予定が中止になったため、昭和56年(1981)の大修理の際、ここに祀られた。

大仏台座の内部
周りには多くの小さな仏像が所狭しと並べられている。