半坪ビオトープの日記

瑞龍寺

瑞龍寺、総門
荘厳かつ美しい佇まいの国宝瑞龍寺は、高岡の開祖、加賀前田家2代当主前田利長を弔うため、3代目当主前田利常が開基した菩提寺である。曹洞宗で、山号は高岡山。重要文化財の総門は、正保年間(1644-48)に竣工。正面幅三間の薬医門形式。

山門
総門をくぐると、国宝の山門、仏殿、法堂が一直線に配列され、左右に禅堂と大庫裏を置き、加えて回廊で結ぶなど、厳粛かつ整然たる禅宗様式の伽藍配置が展開し、壮大な美しさに圧倒される。正保2年(1645)に竣工した山門は、延享3年(1746)の火災で焼失した。現在の建物は文政3年(1820)に竣工された。

山門
瑞龍寺の前身は、加賀藩初代藩主前田利長1562-1614)が織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594)に金沢に創建した宝円寺(後に法円寺)で、利長死去の前年の慶長18年(1613)高岡に移された。跡を継いだ3代藩主利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、瑞龍院(後に瑞龍寺)と改称した。承応3年(1654)から伽藍の整備が始まり、大工頭・山上善右衛門嘉広が棟梁となった。山門は二重門で、屋根は入母屋造、柿葺。下層左右に金剛力士像、上層内部には宝冠釈迦如来十六羅漢像を安置する。

瑞龍寺、仏殿
国宝の仏殿は、棟札により万治2年(1659)の竣工とわかる。入母屋造、一重裳階付きの総欅造りで、屋根は当初杮葺だったが、現状は総重量約47tの鉛瓦葺きとする。組物、軒、柱、窓など典型的な禅宗様である。

仏殿内、釈迦三尊像
仏殿内には、本尊の釈迦如来普賢菩薩文殊菩薩釈迦三尊像のほか、達磨坐像、
跋駄羅尊者像を安置する。釈迦三尊像の上部天井には天蓋が架り、その内側には彩色された木彫「飛天」があり、天女2体が鮮やかな衣を纏い空を舞っている

法堂
国宝の法堂は、墨書から明暦元年(1655)の建立とわかる。総檜造りの入母屋造、銅板葺、桁行11間、梁間9間、正面入口には向唐破風の付いた向拝を備える。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで、建坪は186坪である。手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。この平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。2代藩主前田利長の位牌を中央奥の内陣に安置する。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれており、正面内陣の欄間には高岡という地名の由来となった鳳凰が刻まれている。

法堂内、烏瑟沙摩明王立像
法堂右の般若の間に、かつて同寺にあった七間浄頭(東司)に祀られていたが東司焼失により法堂に祭られることになった、沙摩(うすさま)明王立像を安置する。烏沙摩明王は一般的に東司(便所)の守護神。現存する烏沙摩明王としては日本最古にして最大級の像高117cm。鎌倉末期の特徴を示す極彩色が残るが、仏師、年代ともに不明。

右が前田利長、左が前田利家の石廟
法堂の裏手、回廊の外側に、前田利長前田利家織田信長、同室正覚院、織田信忠と五つの石廟が並ぶ。一番右が前田利長、その左が前田利家である。廟の石材は淡緑色の凝灰岩(俗称、越前笏谷石)を用い、壇上積の基礎の上に立つ切妻型石廟建築である。廟内の宝篋印塔は越前式の月輪装飾を施したもので、越前国を源流とし、加越能三洲に分布している。一番右の利長の石廟内の壁面には二十五菩薩が刻まれている。

法堂と回廊
回廊から眺める法堂と回廊の様子も荘厳な美しさに包まれている。

仏殿と山門
仏殿と山門も法堂と一直線に並び建ち、3点セットの国宝指定が頷ける、粛然たる伽藍配置に圧倒される。

禅堂、文殊菩薩
大庫裏と向かい合わせに建つ禅堂は、桁行7間、梁間5間、正面向唐破風向拝付、切妻造、杮葺。禅堂は、座禅修行をする建物であるが、座禅だけでなく食事、睡眠もとれる生活空間である。延享3年に焼失したが、すぐに再建された。全国で重要文化財の指定を受けている禅堂三棟の一つである。他は京都東福寺と宇治の萬福寺の禅堂である。黄檗宗の影響が見受けられ、古規僧堂として高く評価されている。文殊菩薩の背後に来迎柱、来迎壁が存在するなどの特徴がある。

大庫裏、韋駄尊天像
大庫裏は、桁行10間、梁間6間で、外観は僧堂と同じ切妻造、柿葺で、向拝型玄開が付く。正面中央厨子に韋駄尊天像を祀り、右手は竈や流し・調理台を置く炊事土間となっている。万治年間(1658-60)に建立されたが江戸時代末から明治元年にかけ撤去された。昭和・平成の大修理の際、復元・再建された。

浴室の守護神、跋陀婆羅菩薩
こちらは浴室の守護神、跋陀婆羅(バッダバラ)菩薩。浴室は東司と共に七堂伽藍の一つに数えられる。寛文年間(1661-72)に建立されたが、その後焼失、再建されたが、明治元年にかけ取り壊された。外室中央に浴室の本尊である跋陀婆羅菩薩の木像と十六開士の尊像が安置されていた。

大修理前の法堂の鬼瓦
境内の一角に大修理前の瑞龍寺法堂の鬼瓦が展示されていた。