半坪ビオトープの日記

射水神社、御車山会館、雨晴海岸

射水神社
高岡古城公園内に射水神社がある。越中国一宮で、旧社格国幣中社

射水神社、拝殿
祭神は瓊瓊杵尊だが、歴史的には伊彌頭国造(いみずのくにのみやつこ)の祖神とされる二上神だった。二上神は二上山山麓二上射水神社に祀られている。射水神社の創建は奈良時代以前という。社伝によれば、二上山神奈備とし、太古よりその麓に鎮座していたが、養老元年717)に行基が勅を受けて二上山麓に別当寺を建立し、二上神を二上権現と称して祀ったのだという。

拝殿内
8世紀後半に成立したとされる『万葉集17』には大伴家持によって当神社を詠んだ和歌が収録されている。『延喜式神名帳』にも記載されるが、名神大社かどうかは異論もある。明治8年に現在地に遷座。明治33年(1900)の高岡大火で焼失したが、明治35年に再建し、現在に至る。

高岡御車山会館
高岡御車山会館は、全国で5つしかない国の重要有形・無形民俗文化財である「御車山(みくるまやま)」を通年展示する施設である。

高岡御車山の屏風絵
館内に入るとすぐ、金霞のかかった豪華絢爛な屏風絵が展示されている。この屏風絵に描かれている「御所車」が「高岡御車山」のルーツだという。

高岡御車山の屏風絵
この屏風絵は、時の天下人・豊臣秀吉が完成した聚楽第に、後陽成天皇を迎える様子を描いたもので、左隻には 秀吉を示す桐紋の御所車(牛車)が、右隻には天皇の乗る輿が描かれている。その時の秀吉の御所車を、親交深い前田利家が拝領し、二代利長が慶長4年(1609)、高岡城を築くにあたり町民に与えたのが始まりと伝えられている。

木舟町の御車山
メインの御車山は4ヶ月ごとに展示入れ替えされている。これは「木舟町の御車山」。一番上の鉾留には金色の胡蝶を羽ばたかせ、本座には大黒天を据える。幔幕は朱地綴織宝珠模様の刺繍が施されている。名工・砺波屋伊右衛門丹楓(辻丹甫)の作といわれる高欄や人形をはじめ、工芸品や車輪、幕押、長押など見応えのある出来栄えである。

平成の御車山
こちらは「平成の御車山」。平成25年から5年かけて30年春に完成。高岡市の伝統と技術を次世代へ伝え、未来への発展を目指すシンボルとして、高岡の誇りを示すものという。人間国宝・大澤氏が監修し、市民や職人の手で創り上げたそうだ。

漆工の名品
木舟町の大黒天・唐子人形・高欄、通町の高欄や後屏など高岡漆器の祖・砺波屋伊右衛門丹楓の作と伝わる彫刻と漆芸には非凡な技の冴えが見られる。

勢揃いの御車山
坂下町、通町、御馬出町、守山町、木舟町、小馬出町、一番街通、二番町・・・と各町の御車山が勢揃いしている。

雨晴海岸
高岡から氷見に向かう途中、富山湾に出たところが雨晴海岸という景勝地である。万葉歌人大伴家持はこの雨晴の風景をこよなく愛し多くの歌を詠んだ。源義経が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという「義経岩」が、道の駅・雨晴の目の前にある。その右手(東)に「女岩」があり、その彼方右手には立山連峰が眺められるという。日本の渚百選、白砂青松百選にも選ばれ、夏場は遠浅で絶好の海水浴場になる人気高い景勝地である。

富山湾の玉手箱
富山県西部の初日は氷見温泉に泊まった。最初は「富山湾の玉手箱」と銘打ち、白海老の昆布締めなどの旬のお造り、ホタルイカピリ辛、白エビ甘酢、氷見イワシすり身揚げなど海の幸の小鉢が並ぶ。

あわび
焼き物のあわびも新鮮でかなり大きい。

海鮮と氷見牛の桶盛り
こちらは海鮮と氷見牛の桶盛り。ノドグロにホタテ、鴨つくね、伊勢海老、白エビ団子など盛りだくさんだ。